韓国戒厳令騒ぎの「滅亡と絶望」【佐藤健志】
佐藤健志の「令和の真相」53
◆大統領がめざした「原状」とは
だとしても、こんな騒ぎを引き起こしておいて「ごめんなさい」で済むはずはない。
もともと不人気だったユン大統領、いよいよ袋叩きになります。
恥知らずにも北朝鮮の側に立つ反国家勢力、もとへ野党は大統領の弾劾決議案を提出。
警察も内乱罪の容疑で捜査を開始しました。
少数与党「国民の力」が採決に参加しなかったため、弾劾決議案はいったん否決されるのですが・・・
ここに来て大統領は開き直る。
12月12日に発表した国民向けの談話では、最大野党「共に民主党」について「国を滅ぼそうとする反国家勢力ではないか」とあらためて主張。
戒厳令布告をめぐっても、法的な権限に基づく高度な政治的判断であり、内乱には当たらないと述べ、正当性を強調しました。
いわく、「弾劾であれ、捜査であれ、私はこれに対して堂々と立ち向かう」。
おいおい、だったらどうしてすぐ解除したんだ?
ついでに、なぜ国民に謝罪した!
言動がここまで「何でもあり」になれば、事態がどうにもならなくなるのは「2024年、世界は収拾がつかなくなっている」(令和の真相50)で論じたとおり。
12月14日、弾劾決議案がふたたび採決されたときには、与党からも賛成票を投じる議員が現れ、可決成立となりました。
ユン大統領の職務は停止され、ハン・ドクス(韓悳洙)首相が代行を務めることに。
罷免されるかどうかは憲法裁判所の判断いかんとなりますが、内乱罪にも問われているとあっては、状況は厳しいものがあるでしょう。
現に大統領、すでに出国禁止をくらっているのです。
これぞ、断崖絶壁ならぬ〈弾劾絶壁〉。
とはいえ、考えてみたい点はこちら。
戒厳令によって、ユン・ソンニョルが取り戻したかった「原状」とはいかなるものか。
言い換えれば、大統領はどのような過去に回帰したがったのか。
非常戒厳布告のテレビ演説で、「北朝鮮共産主義勢力の脅威から自由な韓国を守る」などと叫んだのを思えば、冷戦期であることは疑いえません。
当時の韓国は権威主義体制のもと、反共に徹する姿勢を見せていたのです。
民主化の宣言によって、この流れが変わり始めるのは1987年。
冷戦終結のわずか二年前でした。
わけても目を惹くのが、1972年の「十月維新」。
当時のパク・チョンヒ(朴正煕)大統領が、特別宣言によって非常戒厳を布告、国会の解散や政治活動の中止を決めたうえ、みずからの権力が強まるよう憲法改正を強行したものです。
韓国には独裁色の強い「維新体制」が成立、パク大統領が暗殺される1979年まで続きました。
そして十月維新の大義名分は何か?
韓国主導による南北統一の促進です。
早い話が、北朝鮮を圧倒すること!
非常戒厳を布告した際の、ユン大統領の主張とそっくりではありませんか。
駄目押しと言うべきか、ユン大統領は2023年10月、現職大統領としては初めて、パク大統領の追悼式典に出席。
【パク大統領の慧眼と決断と勇気を学ばなければならない】
【(同大統領の)精神と偉業を再び心に刻み、これを基に再び跳躍する大韓民国を作らなければならない】