科学雑誌ブームとエロ雑誌としての『Quark』【新保信長】新連載「体験的雑誌クロニクル」4冊目
新保信長「体験的雑誌クロニクル」4冊目
それ以前にもちょっとエッチな記事はあったが、おそらく1986年2月号の特集「おしかね博士のセックス・サイエンス」が売れたのだろう。以後、「おしかね博士もビックリ!! タブーを破る世界の性教育」(86年5月号)、「オナニーの科学 男性篇・女性篇」(同7月号)、「徹底比較 女のからだVS.男のからだ」(同8月号)、「かさい博士の女性器の科学」(同9月号)、「心がつかめ体が読める科学的恋愛必勝法」(同10月号)、「究極のオーガズム 女性編・男性編」(同11月号)、「徹底比較 日本人のカラダvs.外人のカラダ」(同12月号)と、科学の名を借りたセックス&女体特集を連発する。それに釣られてまんまと買っていた私も私だが、まだ20代前半の健康な男子だったので大目に見てほしい。
すごかったのが、87年1月号「バージンの科学」だ。前出の特集でも当然、女性のヌードが多数登場するし、「かさい博士の女性器の科学」ではリアルな女性器の模型も掲載されていた。しかし、それはあくまでも模型だったが、「バージンの科学」では、いわゆる処女膜(膣口)の写真がページいっぱいにドーンと掲載されているのである。
まだインターネットもなければヘアヌードも解禁されていない時代。ビニ本やエロ雑誌の編集者があの手この手でいかにギリギリまで見せるか工夫を凝らしていた時代に「科学」という名目でモロ出ししたわけで、その編集者魂には敬服する(いい悪いは別にして)。同じ号には「自転車に乗ったときの処女膜の状態を調べる」との名目で、サドル型に切り抜いたアクリル板にノーパンで座らせ、下から撮影した写真も載っていた。涙ぐましい努力だが、〈よほど強引に開いてもらっても見えなかった〉というオチに苦笑する。
当局から何らかのお咎めはなかったのか……と心配になるが、その後も「女性器の科学2」(同2月号)、「不思議の森 アンダーヘアを探険する」(同3月号)、「乳房のGスポット」(同4月号)と科学的エロ路線は続く。しかし、同6月号「究極の性感帯」を最後に、この手の特集は鳴りを潜める。以後は「恋人同士のカラーカクテル」(88年1月号)、「プロポーション美人のBWH」(同2月号)、「『恋の破局』上手に別れる8ヵ条」(同4月号)といった特集内で、ちょっとエッチな写真が出てきたりはするものの露出は控えめでおとなしい。やはり、さすがにやりすぎとの批判が社内外からあったのかもしれない。
さらに、1989年1月号で誌面をリニューアル。ワイド特集「『おいしい味』の秘密を極める」と、テーマ自体は身近ながら、科学雑誌本来の姿に戻った感がある。が、その頃には私も購読をやめていた。
『Quark』のエロ雑誌化が沈静するのと時を同じくして科学雑誌ブームの熱も冷める。『OMNI』が1989年4月号で休刊、『コペル21』は1993年3月号、『UTAN』は1997年3月号、そして『Quark』も1997年6月号にて休刊となった。老舗の『科学朝日』も1996年に『SCIas(サイアス)』にリニューアルしたのち2000年に休刊。結局、現在まで生き延びているのは『Newton』と『日経サイエンス』のみである。
『Quark』休刊直前の97年5月号には普通に次号予告が出ていて、休刊を匂わせるものはない。最終号で突然休刊のお知らせと編集部員のコメントが掲載されている。
同誌に異動して1年足らずという部員いわく、〈創刊の頃、「科学雑誌ブーム」のようなものがあったそうです。では、そのブームが去ってしまったから休刊になったのか、そもそもなぜ科学が流行したのか、雑誌とは何なのか……。/そう、幻の7月号特集は「雑誌創刊・休刊の科学」となる予定だったのでした〉って、それは読んでみたかった!
文:新保信長