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「売れないグラビアアイドルでした」れいわ新人議員・八幡愛はなぜ政治の道に?ターニングポイント、意気込みぜんぶ聞いた

▲八幡愛氏

2024年10月に行われた衆議院議員選挙で与党・自民党と公明党は過半数割れを喫した。しかし野党はまとまることができず、自公で少数与党を形成。政策ごと野党にお伺いを立てることになっている。そんな波乱の選挙結果の中、立憲民主党を筆頭に野党で多くの新人議員が誕生した。とくに注目を集めているのが、近畿比例で当選を果たしたれいわ新選組の八幡愛議員だ。グラビアアイドルなどを経験した後、2021年に初出馬。そこから何度も落選を経験し、ようやく初当選した苦労人だ。SNSでの歯に衣着せぬ発言も見逃せない。今回は八幡愛議員へ自身の過去や政治への思い、これからやりたいことなどを直接聞いてみた。


■先生にも物言いをするイヤな子どもが変わった一言

▲幼稚園の頃は「無敵感」にあふれていたという

 

——八幡さんの子ども時代から教えてください。

八幡愛議員(以下:八幡) 先生の顔色を観察しつつ、物言いをするような子どもでしたね。幼稚園で先生が「お遊戯しましょう!」と言っていても、やりたくなさそうな顔をしていたら「先生やらなくていいよ」なんて返してしまったり。お昼寝もしなかったらしくて、みんなが寝ているときに先生が紅茶飲んだり、お菓子を食べたりしているのを見て、母に「許せない」と怒っていたらしいです。

友達はあまりいなかったです。他の子に「どうしてこんなこともできないの?」と平気で言っちゃうイヤな奴でしたし(笑)。幼稚園の頃は無敵感にあふれていましたね。でも小学1年生のときにそれがちょっと変わって、(今の自分の価値観の)ベースになるような言葉をもらったんです。

——それは何でしょう?

八幡 当時の先生に「みんなできることと、できないことは違うんだよ」と言われて。確かに私も、自転車に乗れなかったけど、他の子は乗れていた。だから自分でできることが人にできないこともあるし、反対に人ができることを自分ができないこともある、とハッとしました。

学校には障がいを持つ子もいました。普段は別学級なんですけど、たまに給食とか一緒になったりして。「こういう子もいるんだ」と、今で言う「多様性」を学んでいたんだと思います。

——中学では私立に進まれています。

八幡 私の行くはずだった公立中は「スクールウォーズ」みたいな感じで荒れていたんですよ。「絶対いじめられる!」と思って。6年生になったとき、そこの中学生が校門の前で待ち構えていたことがあって、「お前ら来年、うちの中学来るんだろ?覚えておけよ」と言われたこともありました。

どうしても逃げたいから「勉強して私立へ行くしかない」と決めたんです。学費は祖父に「出してください」とお願いしました。「受かったら考えるわ」と言われたので、めっちゃ勉強しました。お金がなかったので、塾には通わず独学でした。

——「スクールウォーズ」はイヤですよね(笑)。

八幡 絶対に無理。私は生意気だったせいか目をつけられていたので、「(公立の中学に行ったら)人生終わる」と思っていました。

——無事に合格を果たした私立中学はいかがでしたか?

八幡 進学したのは、中高一貫の女子校でお嬢様が多いところでした。中学はダンス部でしたね。踊るのは苦手でしたけど、その頃から漠然と芸能界に入りたいなって思っていて、「ダンスって芸能っぽいな」と。憧れの世界への一歩という感じで選びました。

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篁五郎

たかむら ごろう

1973年神奈川県出身。小売業、販売業、サービス業と非正規で仕事を転々した後、フリーライターへ転身。西部邁の表現者塾ににて保守思想を学び、個人で勉強を続けている。現在、都内の医療法人と医療サイトをメインに芸能、スポーツ、プロレス、グルメ、マーケティングと雑多なジャンルで記事を執筆しつつ、鎌倉文学館館長・富岡幸一郎氏から文学者について話を聞く連載も手がけている。

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