「売れないグラビアアイドルでした」れいわ新人議員・八幡愛はなぜ政治の道に?ターニングポイント、意気込みぜんぶ聞いた
■「すごい」「かわいい」と言われたかった
——芸能界に憧れた理由は?
八幡 目立ちたかったからです。承認欲求は昔から強かったほうだと思うんです。でも、親は放任というか、褒めもしないけど叱りもしない感じでした。テストで100点取っても「そうなんや」って反応で。反対に0点でも「それがあんたの実力だからな」みたいなことしか言わないんですが。多分、物足りないと思っていたんでしょうね。
もっと「すごい」とか「かわいい」とか言われたかった。家には弟が二人で、私はお姉ちゃんだから周りに甘えることもできなかったのを拗らせてしまったんだと思います(笑)。
——オーディションを受けたのは中学時代ですか?
八幡 中学1年か2年生のときですね。「モーニング娘。」の追加メンバーオーディションに応募したんです。「ASAYAN」を見て。当時住んでいた姫路は、基本的にテレビ大阪(TV東京系列)の電波は届かないんですが、私の家はギリギリ砂嵐みたいな感じで映ったんですよ。
そうしたら関西の最終オーディション風景が番組で紹介されて、残っていた私もTVに映り込んだんです。そしたら「あいつ、モー娘。のオーディション受けたんだって」みたいに広まってしまった。「(姫路では)映らないのになんで?」と思いましたけど(笑)、先輩からも目をつけられて、イジメみたいなことを受けました。でも、「私はあんた達とは違って芸能界へ行くんだ」って振り切りました。
——オーディションを受ける費用はアルバイトで賄っていた?
八幡 当時は全国規模のオーディションだと、交通費や宿泊費用を負担してくれるところがあって、そういうところしか受けていませんでした。でも、最終予選で落ちるの繰り返しで。
それから「レッスンとか受けないとダメだよ」と言われて、レッスン費用を稼ぐためにバイトを始めました。中学3年の春休みにマクドナルドの面接を受けて、入学式の後から働き出しだんです。
アルバイトは校則では禁止されていましたけど、「そんなこと言ってられない!」って感じでしたね。親は芸能界へ入るのに反対していたし、そもそもレッスン代を出せるほど余裕なかったですから。
——マクドナルドと聞くと「スマイル0円」を思い出します。
八幡 (スマイル0円の)オーダーはめっちゃ来ましたけど、さらっと流してました(笑)。そうそう、私マクドでバイトしていたときに伝説を作ったんです。
——伝説ですか?
八幡 はい。当時マクドナルドでは、注文を受けてから1分以内にオーダーを用意できなかったらポテトかハンバーガーの無料券を渡しますという“1分チャレンジ”みたいなことをやっていたんです。一人様でも、家族連れでも関係なく⋯それで私は30分で36組のオーダーを捌いたんです!
——それはすごいですね。
八幡 段取りをめちゃくちゃ考えていました。並んでいる人を見て、「この人はポテトMサイズやな」とか「ビックマック頼むかもしれん」と想像しながらレジ打ちしました。
当時、レジ打ちの人たちがポテトを揚げる権限も持っていたんですね。だから「Mが何個」とか私が予測して揚げ立てを渡せるようにしていました。バーガー類のストックもチェックしながら。
当時から状況を把握するのは好きだったと思います。それが今、政治のことを考えるのにも生きていますね。