「売れないグラビアアイドルでした」れいわ新人議員・八幡愛はなぜ政治の道に?ターニングポイント、意気込みぜんぶ聞いた |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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「売れないグラビアアイドルでした」れいわ新人議員・八幡愛はなぜ政治の道に?ターニングポイント、意気込みぜんぶ聞いた

■歌手の道を諦め、グラビアアイドルの道へ

▲グラビアなどのアイドル経験を持つ

——最初は歌手を目指していて、グラビアアイドルになったのは?

八幡 歌手は19歳で挫折しました。ソニーのオーディションを受けて、レッスン生のような扱いになっていた時期もあったのですが。同期には(シンガーソングライターの)清水翔太くんがいました。

翔太くんは講師から「お前は独自の世界観が強すぎるんだよ」とよく怒られていましたね。私はそれを見て「また怒られてる。勝手なことしてるなー」なんて思っていたんですけど、その数カ月後に翔太くんがデビューしていて。

講師がTVで「彼(清水)の独特の世界観が素晴らしい」と褒めているのを聞いた瞬間に「私には向いていない。やめよう」と思ったんです。個性的なのが悪いと怒られていたのに、デビューしたら手のひら返しされる世界では無理だなって。そもそも私はそんな世界でも選ばれなかった。だから色んな意味で限界かなと思ってやめたんです。

デビューしたいとは思っていたので、それからグラビアアイドルへ転向しました。このまま辞めたら何も残らないじゃないですか。なにか形にして残したかった。

——グラビアアイドルでは、売れたのですか?

八幡 全然全然。DVDも事務所の床抜けるんちゃうんかってくらい返品されました(笑)。グラビアアイドルをしていて、辛かったのは売れなかったことです。今だと“高身長”とか“モデル体型”のグラビアアイドルの需要もありますけど、当時は低身長で可愛らしい感じの子じゃないと売れない時代でした。雑誌の紙面獲得バトルに挑戦した時も辛かったですね。ファンからの投げ銭によってポイントを稼いで、それが評価の対象になって。

——今でいうYouTubeライブのスパチャのような。

八幡 そうですそうです。そのポイントは、ファンの人がお金払って買ってくれるんですね。だから無理させてるなって思って。バトル内容に撮影会もあるんですが、それもファンは有料なんです。

——撮影会は、八幡さんにギャラは入るのですか?

八幡 ほとんど貰えません。たまに5000円くらいくれるところもありましたけど、払ってくれない場合も多かったですね。現場(撮影会)で「払った」「払ってない」のトラブルもよく見聞きしていました。

——そこからアイドルグループ入りをした。

八幡 はい。私、旅行会社のモデルもやっていたのですが、ある時会社が「ご当地アイドルをプロデュースしたい」と言い出して、私にメンバー入りを打診してきました。「嘘やろ」って思って。だってその時27歳ですよ。聞いてみたらまとめ役とか、女の子が危ない目に遭わないように監視する役がほしいみたいなこと言われて。「いいんですか?27ですよ?」と念押ししたのですが、「おもろいからええやん」って(笑)。

——インストアライブとか握手会とかやりましたか。

八幡 やりました。ここでも全然人気なかったですね。私の列は全然並んでない(笑)。みんな不憫に思ったのか「推しもいるけど、あい姉(八幡議員)のところ行ったろか」みたいな感じで来てくるんです。プレゼントも推しの子にはかわいい物渡しているんですけど、私のところにはビールとかワンカップ酒なんです(笑)。

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篁五郎

たかむら ごろう

1973年神奈川県出身。小売業、販売業、サービス業と非正規で仕事を転々した後、フリーライターへ転身。西部邁の表現者塾ににて保守思想を学び、個人で勉強を続けている。現在、都内の医療法人と医療サイトをメインに芸能、スポーツ、プロレス、グルメ、マーケティングと雑多なジャンルで記事を執筆しつつ、鎌倉文学館館長・富岡幸一郎氏から文学者について話を聞く連載も手がけている。

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