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「売れないグラビアアイドルでした」れいわ新人議員・八幡愛はなぜ政治の道に?ターニングポイント、意気込みぜんぶ聞いた

■東日本大震災で迷走していた生き方が定まった

▲東日本大震災、山本太郎氏との出会いで生き方が定まった

——政治に興味を持ったきっかけは?

八幡 2011年の東日本大震災です。原発事故もありましたよね。

その時、おバカキャラで在阪局のバラエティー番組に出るお話をいただいていたんです。当時“おバカブーム”が来ていたじゃないですか。「これに乗るしかない!」と思って、本当に馬鹿なんですけど(笑)。ロケが3月12日の予定で、大地震と原発が爆発したのにおバカとか言ってられない、ということになり流れてしまったんですが。

それで、その時政府の対応に「なんかおかしいな」と違和感を覚えて「これは勉強しなあかん」って興味を持ったんです。それまで新聞とかTVの報道が正しいと思っていたけど、実は違うんじゃないかって。

——それで行動を開始した。

八幡 はい。知り合いのツテを辿って、まずは市民メディアのリポーターになりました。

あの頃って「反原発デモ」とかがすごかったじゃないですか。私の中ではデモってすごく怖いイメージだったんですが、普通のサラリーマンとか、お母さんとか、子供連れの人とかがたくさん来ていたんですね。

「なんやろ。この動きは」って思いながら取材していたら、山本太郎代表(以下:代表)に会ったんですよ。前からすごいなと尊敬していた方でしたが、取材で顔を合わせるうちに「どうも」って挨拶する間柄になりました。その後、ツイッターのDMでも交流するように。そうするうちに代表が政治家になってて驚きました。

政治の道へ進んだのは、とにかく代表の存在が大きかったです。2019年に一人でれいわ新選組を立ち上げたときに「この人本気やな」と思って、「一緒にやりたい」「いつか絶対に合流したい」「支えたい」と思ってボランティアを始めたんです。

いつか自分も地方議員になって代表を支えたい。れいわ(新選組)の考えを広めたい。そう思いながら党の活動をお手伝いしていたんです。

そしたら代表から「姫路で会いたい」って連絡が来たんです。「なんやろ」と思っていたら「衆議院議員選挙一緒に出ませんか」と言われて、それがスタートでした。

——ご自身も驚いたのではないですか。

八幡 もちろんもちろん。で、代表に「なんで私なんですか」と聞いたら、「2012年くらいに知り合って、何となく見ていたけどブレなかったよね」って。

「私は芸能界にいても売れなかった。失うものがないから好き勝手言えたんですよ」って言ったら、「2012年からずっと活動してきて、最初は多くの人がいたけど、みんな生活とか仕事があるから離れていった。でも、あなたは残ってましたよね。だから一緒にやりましょう」って。

それで「ぜひ!」と二つ返事で受けました。代表がいなかったら、今ここにいないと思ってます。

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篁五郎

たかむら ごろう

1973年神奈川県出身。小売業、販売業、サービス業と非正規で仕事を転々した後、フリーライターへ転身。西部邁の表現者塾ににて保守思想を学び、個人で勉強を続けている。現在、都内の医療法人と医療サイトをメインに芸能、スポーツ、プロレス、グルメ、マーケティングと雑多なジャンルで記事を執筆しつつ、鎌倉文学館館長・富岡幸一郎氏から文学者について話を聞く連載も手がけている。

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