火野正平、北の富士、中山美穂。「昭和99年」終盤の訃報は「色男」と「女優」を過去へと追いやった【宝泉薫】
連載:死の百年史1921-2020 【番外編】2024(令和6)年
そのあたりをさらに実感させられたのが、火野の訃報から数時間後に流れた、角界発の訃報だった。現役時代「プレイボーイ横綱」とか「銀座の横綱」などと呼ばれた北の富士勝昭(享年82)。個人的に好きなのは、銀座のクラブママでもあった作詞家・山口洋子が明かしたエピソードだ。
中条きよしのデビュー曲『うそ』がヒットしたとき「あの歌のモデルは俺だろ」と、したり顔で言ってきたらしい。実際には、店のホステスから浮気の相談をされたことがヒントになったそうで、その嘘つきな男が北の富士だったかどうかはわからない。ただ、プレイボーイぶりが自慢でもあったのだろう。
本業では優勝10回というまずまずの成績を残したが、不名誉な語り草もある。どこも悪くないのに不調だった場所を「不眠症」で途中休場。
「そういえば、このところ、ちょっと夜、寝つきが悪いな」(『千代の富士一代』石井代蔵)
と医師に言ったところ、そういう理由になったわけだが、元気なので場所中にもかかわらず、そのままハワイに行ってしまった。その浜辺で金髪の美女たちと遊んでいたところを見つかり、今でいう炎上状態に。それでも本人は「東京でうじうじ入院生活を送るより、気が晴れて、再起できますよ」と言ってのけた。
引退後は九重親方として、大横綱・千代の富士を育成。しかし、好事魔多しというやつで不祥事も起きた。部屋の三段目力士・富士昇を千代の富士らがしごいて半殺しにしてしまったのである。富士昇はのちの大関・北天佑(三保ヶ関部屋)の実弟で、入門当初から態度が悪く、千代の富士らの得た懸賞金を盗んで女遊びに興じるほどだったという。しごきの原因もそれだというが、公表はされず、メディアはバッシングに走った。
その直後には、千代の富士の結婚披露宴に暴力団の組長が出席していたことを叩かれ、謹慎処分にもされている。
やがて、定年を前に相撲協会を退職。晩年はNHKの大相撲中継で解説者として活躍した。ただ、パワハラのような行為が角界であっても批判されるようになっていく時期でもあり、当初はその批判に違和感を示してもいた。が、しだいにあきらめていったふしもあり、時代の変化を淋しく感じていたのではないか。力士が力士らしく生きられる世の中でもなくなりつつあるのだ。
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