火野正平、北の富士、中山美穂。「昭和99年」終盤の訃報は「色男」と「女優」を過去へと追いやった【宝泉薫】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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火野正平、北の富士、中山美穂。「昭和99年」終盤の訃報は「色男」と「女優」を過去へと追いやった【宝泉薫】

連載:死の百年史1921-2020 【番外編】2024(令和6)年

中山美穂

 

 さて、残るひとりは中山美穂(享年54)。アイドルとして世に出て、女優としても多くのヒット作を残した人である。

 ところが、訃報絡みのニュースではもっぱら「俳優」という肩書で紹介された。最近、メディアにおいて女優という言葉を避け、女の役者も「俳優」に統一する習わしができてしまったからだ。それゆえ、おかしなやりとりも生じることになる。たとえば『Nスタ』(TBS系)でコメントを求められたドラマプロデューサー・八木康夫と女子アナのやりとりだ。

――俳優・中山美穂さん、87年当初はどんな印象だったのでしょうか。

「ふだんは物静かな人で、いざ本番となると、テンションの高いお芝居をお上手にやられれて、本当の女優さんだったなっていう」

――その後、俳優としてのご活躍、どのようにご覧になってたんですか。

「アイドルや歌手の印象も強いんですけど、僕としては女優・中山美穂という印象があって(略)しっとりした大人の女優になられて。いい意味でおひとりでスタジオの隅でお芝居を考えながら、キャラクターに合ったお芝居をされてて、プロデューサーとしてはすごく素敵な女優さんだったなって」

 この噛み合わないやりとりを見ながら、SNSで、

「TBSでは八木康夫がコメントしていたんだけど、彼が『女優』と言うたび、女子アナが『俳優』と言い換えるような感じになってしまっていて、もう何か呪いたいくらい苛々した」

 とつぶやいたところ、多くの賛同を得た。女優という言葉が避けられ始めてから初めてというべき、現役感のあるトップ女優の訃報のおかげで「女優」が特別な存在だった時代が遠ざかりつつあることが明らかにされたわけだ。

 そしてもうひとつ、複雑な気分にさせられたことがある。彼女が若くして世を去ったことにより、デビュー前後の経緯が整理できたことだ。芸能評論家としてはすっきりしたところもあるが、哀しいことでもある。

 たとえば、歌手デビューしたとき、彼女はバーニング傘下のビッグアップルに所属していて、その社長・山中則男にはいろいろお世話になった。始まりは85年の夏、筆者が発行人を務めていたミニコミ誌『よい子の歌謡曲』に彼がクレームを入れてきたことで、彼女の初主演ドラマ『夏・体験物語』(TBS系)で共演することになった少女隊のファンが書いた文章がきっかけだ。このドラマも彼女の女優デビュー作『毎度おさわがせします』と同じエッチ路線だったため、その書き手が「中山美穂はそのスジの専門家だからいいようなもんだが」と皮肉ったことへのクレームだった。

 ただ、この社長は好人物で、この件でむしろこちらと仲よくなり、次の号で広告を入れてくれたりした。また、彼女の中学の同級生で近所に住むという読者からの「昔はよく下着(カラフルなヤツ)がほしてあったものでした」という投稿を見て「あれは俺がやめさせたんだよ」と笑い飛ばすような茶目っ気もあった。しかし、バーニングはその後、この社長に代えて、別の大物を送り込むことになる。

 個人的には長年、山中と彼女の関係性がよくわからなかったのだが、訃報を受け、山中がメディアに登場。モデル事務所「ボックスコーポレーション」時代に彼女を原宿でスカウトしたことなどを語った。山中は当時、遠藤康子もスカウトしていて、ふたりを売り込むために「山中事務所」を設立。中山が売れたことにより、これが「ビッグアップル」へとつながったようだが、大きな挫折も味わっている。

 アエラドットのインタビューによれば、

「マンションの1階で、6畳と4畳半の2部屋と流し台だけ。家賃は4万5000円で、自宅兼事務所でした。一生懸命に営業したんですが、最初は2人とも全然売れなかった。それでも毎月5万円ずつ、2人に給料を払っていました。ですが、途中で2人を維持するのは難しくなってしまい、遠藤は知り合いの芸能事務所にお願いしました。その遠藤は歌手の橋幸夫さんが副社長を務めるレーベルから、歌手デビューが決まっていたんです。ところが、デビュー前、1986年に自殺してしまった……。死の1週間くらい前には美穂や私に『私も負けないように頑張るから応援してね』と電話があったんです。もう衝撃で、美穂と2人で大泣きしました」

 中山と遠藤の友情については、この「ベストタイムズ」でも触れたことがある。「岡田有希子ともうひとりのユッコの夭折、映画界の奇才による大映ドラマブームという置き土産 1986(昭和61)年【連載:死の百年史1921-2020】第8回」でのことだ。

 そこでも書いたように、遠藤の死をめぐっては、恋人との別れを事務所に強要されたから、とする見方も出た。中山もそういう見方だったようで、エッセイ集『なぜならやさしいまちがあったから』(2009年)には、遠藤の分まで「誰にも止めることを許さない自由な恋愛をしようと思った。(略)誰にも止めることができない自由な魂で結婚をしました」と綴られている。

 その結婚が終わる際にも、不倫が囁かれたし、彼女は芸能活動に負けず劣らず、恋愛遍歴も華やかだった。2020年のインタビューでも、

「多少なら、どう思われてもいいやって(笑)。いま、すごく楽しんで仕事ができているんです」(週刊女性)

 と語っていて、公私ともに自由でありたいという女優らしい生き方を貫いたといえる。そんな彼女を「女優」と紹介できないメディアの不自由さ。火野や北の富士についても「色男」の時代が過ぎ去ったことを感じたが、人が死ぬたび、時代は動き、世の中は変わっていくのだろう。

 

文:宝泉薫( 作家・芸能評論家)

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宝泉 薫

ほうせん かおる

1964年生まれ。主にテレビ・音楽、ダイエット・メンタルヘルスについて執筆。1995年に『ドキュメント摂食障害―明日の私を見つめて』(時事通信社・加藤秀樹名義)を出版する。2016年には『痩せ姫 生きづらさの果てに』(KKベストセラーズ)が話題に。近刊に『あのアイドルがなぜヌードに』(文春ムック)『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)、最新刊に『平成の死 追悼は生きる糧』(KKベストセラーズ)がある。ツイッターは、@fuji507で更新中。 


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