統一教会を批判する人の愚鈍さ 「君たちは洗脳されている」と言い続けても何も変わらない理由【仲正昌樹】
人は物語を生きる存在である
■違う人生を歩み始めるには、違う物語が必要
マルクス主義のような包括的な世界観・歴史観を持つ思想運動も基本は同じである。自分自身の労働者とか学生、ジャーナリストなどの経験(の物語)と、マルクス主義が説く階級闘争の物語が深い所で共鳴し、自分も革命の一翼を担っているように思える人が、マルクス主義者になっていたのである。階級闘争史観は、科学的に証明可能な法則でも、事実の集積でもなく、社会がどう変化してほしいかに関する人々の願望を反映した物語だ。
科学的であることを標ぼうする正統なマルクス主義者は、自分たちが「物語」のような非合理的なものによって動機付けられていることを基本的に認めないが、フランスのアナーキスト、ジョルジュ・ソレル(一八四七-一九二二)のように、人々の無意識に潜在している神話的イメージこそが革命の真の動員力になると主張する理論家もいる。吉本隆明(一九二四-二〇一二)の共同幻想論も、民衆の生活に根ざした神話や民話こそが、政治や国家を支えているという議論である。
統一教会の教義が、優れた物語であると言いたいわけではない。平均的な日本人にとって親しみやすい物語であれば、もっと大きな教団になっていたろうし、社会との摩擦ももっと少なかっただろう。しかし、今現在信じている人にとっては、自分の人生の物語が、教義の一部になっているのである。その人が辿ってきた人生の物語を無視して、君たちは洗脳されていると言い続けても、何も変わりはしない。違う人生を歩み始めるには、違う物語が必要だ。統一教会を批判する人はそこをちゃんと理解すべきだ――無論、他人を強制改宗することを、自らの使命とするような物語は、誰も幸福にはしないだろう。
文:仲正昌樹