2024年大ブレイクした双子レスラー・斉藤ブラザーズ!力士引退→30代でプロレス転身した“諦めない”生き様 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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2024年大ブレイクした双子レスラー・斉藤ブラザーズ!力士引退→30代でプロレス転身した“諦めない”生き様

■YouTubeで朝青龍を見て…相撲部屋に入門した

 

▲朝青龍に憧れ角界の門を叩いた弟・レイ

——相撲の道に進もうと思ったきっかけを教えてください。

レイ これは自分がYouTubeを見てです(笑)。

——YouTube?

レイ はい。アメリカで高校卒業した後に日本でいう短期大学、コミュニティカレッジがあったんです。そこに2人で通っていました。そのときにYouTubeで朝青龍関の動画を見たんですよ。横綱は筋肉質だし、強いじゃないですか。それでかっこいいなって思って、相撲取りになろうと決めました。

ジュン 自分はもともと格闘技がやりたくて。日本でキックボクシングのジムに住み込みで練習していたんです。当時はK-1が人気でヘビー級とかすごかったので、自分も憧れていました。

それから、短大を卒業して「少しは社会人を経験したほうがいいな」と思って、アメリカでトラックの運転手をやっていたんです。1年くらいかな。それでお金を貯めて帰国しました。練習はキツかったけどとくにつらかったのは減量ですね。食べないで練習するのは無理でした。「自分には向いてないな」と悩んでいたときに、弟から「相撲取りになろう」と声をかけられたんです。

——そこから晴れて相撲部屋に入門する。

レイ まず、自分が先に入門して、そして1週間くらいで逃げました(笑)。相撲部屋ってプライベートがゼロじゃないですか。ずっとアメリカで生活していたんで、そのギャップに慣れなくて帰っちゃったんです。まだ正式に入門していなかったので、いったん日本の実家に帰りました。それからバイトとかしていたときに兄も戻ってきて。

ジュン それで2人で「相撲をイチから頑張りたいから(もう一度)一緒に入門しよう」という話をしました。

——プライベートゼロでも2人なら何とか耐えられると?

ジュン そうですね。

レイ 自分1人で行ったときは厳しいかなって思いましたけど、でも2人で一緒に頑張ろうと思って行ったら苦ではなかったですね。

ジュン 本当にすぐ慣れましたね。相撲は神事ですから日本伝統のしきたりがあります。たとえば、土俵作るときに、神様を下ろしてくる土俵祭というものがあるんですけど、そういったものも含めて楽しかったです。稽古はもちろん厳しかったんですけど、楽しい思い出がいっぱいです。

——相撲部屋時代って休みの日はどんなことをして過ごすんでしょう?

ジュン 色々買い物をしたり、食事行ったりとかですね。

レイ 本場所が終わると、何日か稽古がお休みになるんでいつもよりゆっくり眠れるんですよ。それで仲の良かった兄弟子と一緒に遊びに行ったりしてました。

ジュン 勝ち越して遊ぶと、楽しいんです。相撲部屋にいる限り目標は番付を上げて関取になることです。だから逆に負け越すとずっと落ち込んだままになる。

レイ 気分転換で遊びには行くんですけど、どこか楽しめないっていうか。気分も沈んだ感じでしたね。

——稽古はやはりつらかったでしたか?

ジュン キツかったですね。相撲はすり足じゃないですか。最初の何ヶ月かは足の裏が痛くて。慣れてきたら皮が厚くなるんで平気なんですけど、慣れないと痛くて歩けないくらいでしたね。

レイ 足の裏の皮が固くなって割れてました。後、爪もしょっちゅう剥がれました。

——爪ですか?

ジュン 爪は土俵際で踏ん張るじゃないですか。それで足が還るときに剥がれるんです。痛いですよ。相撲の稽古では、もちろん体力面とかでキツいのもありましたけど、とにかく痛かったことが記憶に残っています。ほとんどの相撲取りは、打撲とか捻挫程度のケガでは稽古も本場所も休みません。テーピングでガチガチに固めて出てきますね。でも、テーピングしても痛いのは痛いですから。

プロレスの練習は、基礎体力つけるために腕立てとかスクワットをすごい回数こなすじゃないですか。そっちの練習のほうが厳しいって思う人もいますけど、自分はそんなに苦じゃないんです。

相撲の稽古は身体へのダメージが残るんです。一晩寝たくらいじゃ回復しないので、それがつらいというか大変でした。

レイ プロレスの練習とはキツさの種類が違うんでよね。ただ確かにキツかったですし、稽古をしていたのに負け越したりしたのは悔しかったですけど、それで辞めようとは思わなかったです。楽しさの方が勝っていました。

——相撲部屋時代は、部屋へのビールの差し入れを、お二人で飲み干したと伺いました。

ジュン・レイ そんなこともありましたね。

ジュン ビールと言えばレイですが、自分も好きだったんで。

レイ 確か、後援会の人繋がりで居酒屋さんにある生ビールのサーバーが部屋に来たんです。親方も「好きなだけ飲んでいいぞ」っていうから飲んでたんですよ。他の皆はそこまでビールが好きじゃないから、結局ジュンと2人で飲んでたら数日でなくなっちゃって。親方には「もうないのか。お前らみんな飲んでいるな!」なんて言われました(笑)。

ジュン でも飲んでいたのは自分らだけ(笑)。

レイ 「飲んでいい」って言ったから飲んだんだけどな。相撲部屋ってビールは瓶で差し入れがくるし、日本酒もたくさんあるんですよ。とにかく毎日のように飲んでましたね。

——高級な差し入れをいただくこともありそうですが。

ジュン 後援会の方からフグの差し入れをされたことがありましたね。市場とかにある発泡スチロール箱がたくさん来たと思ったら、中にフグの切り身とか白子とかパンパンに入っていました。

レイ 相撲部屋なんで差し入れの量がすごいんです。黒毛和牛とかは10kg20kgで来ましたね。

ジュン 牛肉は差し入れでいただいたら、焼いて食べたり、すき焼きにしたりとかいろいろしていたんですけど。あと魚、ブリの差し入れが本当に多くて。そのブリをてっちり鍋にしてよくみんなで食べていました。フグは、親方衆の方が嬉しそうで(笑)。みんな美味しいなって言って食べてました。

レイ あんまそういうこと言っちゃいけない(笑)。

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篁五郎

たかむら ごろう

1973年神奈川県出身。小売業、販売業、サービス業と非正規で仕事を転々した後、フリーライターへ転身。西部邁の表現者塾ににて保守思想を学び、個人で勉強を続けている。現在、都内の医療法人と医療サイトをメインに芸能、スポーツ、プロレス、グルメ、マーケティングと雑多なジャンルで記事を執筆しつつ、鎌倉文学館館長・富岡幸一郎氏から文学者について話を聞く連載も手がけている。

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