2024年大ブレイクした双子レスラー・斉藤ブラザーズ!力士引退→30代でプロレス転身した“諦めない”生き様
■力士引退から全日本プロレス入りに至る“空白の3年間”
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——力士を引退されたのが2017年ですけど、その後の生活について教えてください。
ジュン 自分は弟より先に引退したんですけど、トラック運転手の経験を活かして仕事をしようと思って、一度アメリカへ戻ったんです。色んな事情があって日本に帰ってきてからは、住み込みの仕事をしていました。北海道の温泉旅館へ行ったり。弟は山小屋で仕事したりしていました。
レイ 自分はアウトドアとか自然が好きで、そっち方面の仕事をしたいと思って、長野県の北アルプスにある山小屋へ働きに行きました。兄は兄で住み込みの仕事をしていたんですけど、自分がプロレスやりたいなって思って。
——プロレスをやろうと思ったきっかけはなんでしたか?
レイ またYouTubeなんですけど(笑)、住み込みの仕事をしていたときに九州プロレス(※4)という団体が新人育成のドキュメンタリー動画をアップしていたんです。彼らがデビューに向けて頑張っているのを見ていたら「自分もやりたいな」と思って。
以前からプロレスは好きで見ていたんですけど、このままアウトドアの仕事を続けるよりも、せっかくだからチャレンジしてみたいなって。
ジュン 力士を引退した後もトレーニングは続けていました。関取になれなかったから不完全燃焼みたいな感じでしたね。30超えていたけど2人でもう一度挑戦したいという気持ちがありました。
レイ 引退して1年くらい経って、(プロレス行くのを)誘ったんですね。それで入門テストに向けて、2人で住み込みの仕事しながらトレーニングしていました。
住み込みは同じ仕事をずっと続けられるわけじゃないんです。たとえば、お正月から春くらいまでは沖縄でサトウキビを収穫する仕事したりとか。
ジュン 自分は愛媛でみかんの運搬運送の仕事をやっていました。後、2人で北海道へ行って、自分は酪農の仕事。弟は農業の仕事をしたことがありますね。
レイ 2人で沖縄、北海道、長野と全国で色々とやりましたね。
ジュン 住み込みは時間の調整がしやすいんですよ。朝トレーニングしてから仕事へ行って、終わったら夜のトレーニングというのをテストへ向けて繰り返してました。そういった生活を1年くらい続けて、いざテストを受けようとしたらコロナ禍で難しくなったんです。準備期間が伸びたと思って気持ち切り替えて、そこからさらに練習しました。
——入門先は最初から全日本プロレスに決めていたのでしたか?
ジュン 最初弟と話していたときは宮城県が地元だから「みちのくプロレス」(※5)にしようと思ったんです。でも、小型の選手が飛び技をするイメージが強くて、自分たちには合わないと。全日本プロレスは大きな選手が多いし、ジャイアント馬場さんが作った団体だから、そっちのほうが自分たちに合うと思って全日本プロレスにしました。
※4:九州プロレス:九州地方で活動しているプロレス団体。試合以外に、高齢者施設・障がい者施設・児童養護施設・幼保園への慰問活動や、フリースクールでのプロレス授業を行っている
※5:みちのくプロレス:東北地方を中心に活動しているプロレス団体。日本初のローカル団体として多くの名レスラーを輩出している