2024年大ブレイクした双子レスラー・斉藤ブラザーズ!力士引退→30代でプロレス転身した“諦めない”生き様 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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2024年大ブレイクした双子レスラー・斉藤ブラザーズ!力士引退→30代でプロレス転身した“諦めない”生き様

■海外遠征を経て「斉藤兄弟」から「斉藤ブラザーズ」へ

 

▲海外で「the斉藤ブラザーズ」との呼び名が (2023年6月3日筆者撮影)

 

——全日本プロレスに入門して驚いたことはありましたか?

ジュン まず体のデカさですね。横の筋肉がすごいんですよ。厚みというか、迫力みたいなのを感じましたね。

レイ 石川修司選手はデカさもですけど、身体中傷だらけですからね。ちょっとビビりました(笑)。

——入門したときは体重どれくらいでしたでしたか?

ジュン 自分が多分95kgくらいですね。相撲取り時代は一番重いときで150kgくらいありました。プロレスラーになろうと決めたときに、一度体重を絞ってから体作りしようと決意して、ダイエットしました。リング上で動けないと話にならないので。

——60kgくらい落としている。

レイ そうですね。自分も100kgくらいまで落としたので50kgから60kgくらい落としてます。でも、デビューしたときはそんなに変わってないですね。

ジュン そうは言っても30kgくらい増えてますね。今、自分が120kgくらいで弟が150kgくらいです。でも弟には180kgくらいまで増やしてほしい。その重さでコーナートップから飛んできたら誰も返せないじゃないですか。

レイ (笑)。

——入門して苦労もあったのではないでしょうか。

レイ 練習生として入った時、34歳だったんです。「その年で雑用とかをやるのはキツい」と思われるでしょうが、苦じゃなかったですね。ちゃんこ番もやっていましたけど、「自由にやっていい」と言われていたから好きにやっていましたし。

ジュン 相撲取りでは関取になれなかったという悔いが残っていたんです。だからプロレスやろうと決めたときは「絶対にデビューしてトップ取る」という思いが強かったんですね。だからツラいとかなくて「早くデビューしたい」と思ってました。

レイ プロレスラーになろうと決めてからの生活は、仕事とトレーニングを繰り返すだけだったんですけど、練習生になってからは練習に専念できたんで嬉しかったですね。

——新人の頃はどなたに指導を?

レイ 青柳優馬(※6)選手です。受け身とか基礎的なことは優馬選手に教わりました。それから九州プロレスへ移籍したTAJIRI(※7)選手です。

ジュン TAJIRI選手からは技術面やプロレスの考え方とかをイチから学びました。頭の良い方なので教え方も上手なんです。

——デビューが決まったときはどんなお気持ちでしたでしたか?

ジュン 「当然だな」って感じでしたね。もちろん嬉しかったですけど、それまでの積み重ねがあったんで自信もあったから「デビューは近いな」という気持ちのほうが強かったです。デビューして苦労したのは、思ったより(体が)動かなかったこと。「あれをしたい」「これをやりたい」と頭の中で思っていても経験がないから全然できないんですよ。

レイ これは他の新人さんもそうだと思うんですけど、自分たちも想像以上に大変でした。

ジュン デビュー後すぐに出場した最強タッグは悔しかったです。とにかく試合を経験してレベルアップしないといけないなと思いましたね。

レイ 技のかけ方、相手の技の受け方、そういったものを経験しないとタッグとしても、シングルとしても上へ行けないと感じましたね。

ジュン デビューして半年くらいで海外遠征へ行けたのは大きな経験になりましたね。自分たちはTAJIRIさんのツテで、昔レッスルワン(※8)にいたレスラーの家にホームステイしながら色んな団体のリングで試合をさせてもらいました。

レイ 遠征前は「斉藤兄弟」だったんですけど、「the斉藤ブラザーズ」と呼ばれるようになって、ずっと同じタッグ名で来ています。

向こうはエンターテイメントの側面が大きいっていうのがあると思うんですけど、“プロセスを考える力”が身に付いたのが一番大きいと思いますね。

デビューした頃はただ試合して試合してみたいな、とにかく攻めて攻めてみたいなイメージだったんですけど、試合運びとかお客さんを沸かせるやり方が身についたのは良かったです。

ジュン 自分たちがデビューしたときはコロナ禍でした。お客さんが声出せなくて、応援は拍手と足踏みくらいだったから反応がわからないんですよ。でもアメリカではじめて声出しの応援を受けられたのも良かったと思います。帰国した後、GLEAT(※9)でタッグチャンピオンになって11回防衛できたのも大きかったですね。全日本プロレス以外でも試合ができたんで、それでタッグとしての連携も上がりましたし、経験値が増えて成長したことが実感できました。

——その後、ヒールに転向されています。

レイ ヒールをやったのは大きいです。ヒールって、お客さんをコントロールできないとダメなんです。TARU(※10)さんからはそういった部分を教えてもらいましたし、普通なら見逃すような細かい部分までアドバイスしていただきました。

——ヒール時代に諏訪魔選手を袋に詰めたのはすごいインパクトがありました。

ジュン あれ、楽しかったんでまたやりたいんですけど、やったらヒールに戻っちゃうからできない(笑)。

※6:青柳優馬:全日本プロレス所属のプロレスラー。史上最年少で五冠チャンピオンに輝いたこともある実力派。若くして全日本プロレス道場のコーチ役を務めている
※7:TAJIRI:世界最大のプロレス団体WWE所属経験を持つレスラー。帰国後は多くの団体のリングに上がってきた。文才もあり、著書を何冊が出版している
※8:レッスルワン:武藤敬司が全日本プロレスを退団した後に設立したプロレス団体。2020年に活動を休止した
※9:GLEAT:広告代理店のリデットエンターテインメント株式会社が設立したプロレス団体。元UWFの田村潔司がエグゼクティブディレクターを務め、長州力がオブザーバーとして参加している
※10:TARU:ヒールユニット「VOODOO-MURDERS(ブードゥー・マーダーズ)」のリーダーとして全日本プロレス、ZERO-ONEなどで活躍したプロレスラー

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篁五郎

たかむら ごろう

1973年神奈川県出身。小売業、販売業、サービス業と非正規で仕事を転々した後、フリーライターへ転身。西部邁の表現者塾ににて保守思想を学び、個人で勉強を続けている。現在、都内の医療法人と医療サイトをメインに芸能、スポーツ、プロレス、グルメ、マーケティングと雑多なジャンルで記事を執筆しつつ、鎌倉文学館館長・富岡幸一郎氏から文学者について話を聞く連載も手がけている。

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