職人肌のプロレスラーから“おふざけ路線”へ転身!田口隆祐が語る「自由」への挑戦 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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職人肌のプロレスラーから“おふざけ路線”へ転身!田口隆祐が語る「自由」への挑戦

▲田口隆祐 写真:©新日本プロレス

新日本プロレスのジュニアヘビー級で活躍する田口隆祐。テレビ朝日アナウンサーの三谷紬からは「下ネタキャラ」として恐れられ、元IWGPジュニアヘビー級王者の高橋ヒロムからは「変態お尻おじさん」と評されるくせ者である。デビューから現在まで、実力派レスラーとして高い評価を受けつつ、コミカルな試合運びで観客を魅了し続けてきた。新日本プロレスのジュニアヘビー級にこだわり続けてきた田口隆祐に、プロレスラーとしての原点と、観客を楽しませることへの思いを聞いた。


■エル・サムライの試合が導いたプロレスの道

 田口隆祐は、東京都足立区生まれ、宮城県岩沼市育ち。現在は同市の「いわぬまPR大使」という肩書も持つ。

 小学生時代は扁桃腺の病気で休みがちだった田口。当時熱中していたのは将棋(現在はアマチュア6段の腕前)と、屈強なプロレスラーとは結びつかないような子どもだった。

 病気を克服してからはスポーツに熱中し、高校ではサッカー部に所属。プロレスをまったく知らなかった少年がプロレスラーを夢見るようになったのは、高校2年生のときに見た『ワールドプロレスリング』の橋本真也と長州力との一戦がきっかけだった。

「あの試合で橋本さんは長州さんのリキラリアットを何発も受けたのに、倒れなかった。その姿を見て、胸が熱くなった。それから毎週『ワールドプロレスリング』を録画して見るようになりました」

 プロレスラーを志すきっかけとなったのは、1997年に日本武道館で開催された「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアⅣ優勝決定戦」だった。

 優勝決定戦へ進んだのはエル・サムライ(※1)と金本浩二(※2)の2人。腕の取り合いからグラウンドでの攻防へ進むと、金本が得意の打撃でサムライを攻め立てる。怒ったサムライも金本に反撃、ダウンした金本へ顔面キックを何度も見舞う。

 

▲エル・サムライ(写真左)と金本浩二(写真右) 写真:アフロ

 

 その後、サムライは劣勢に転じ、マスクも剥がされてしまう。しかし、体のタフさと受けの上手さでしのぎ切り、得意技である裏DDTで逆転。最後は奥の手とばかりに雪崩式裏DDTで勝利を掴んだ。予備のマスクを被ったサムライはコーナーポットへ上がって両手を天井へと突き上げた。普段は寡黙なマスクマンが喜びを爆発させた瞬間である。

「この試合を見て『プロレスをやりたい』と思ったんです。そして『新日本プロレスのジュニアに入る』と決めました。あの頃、身長は今と変わらないですが体重が60kgくらいしかなくガリガリでした。それで本屋で『プロレスラーになるための本』みたいなのを買って、トレーニングを始めたんです。格闘技経験もないから、大学でレスリングをやろうと思って探しましたね」

 ただの「プロレス好きの少年」が「プロレスラー志望の若者」へと変わった瞬間である。

※1 エル・サムライ:元新日本プロレス所属のプロレスラー。田口隆祐の師匠格に当たり、獣神サンダー・ライガーの盟友でもある
※2 金本浩二:元新日本プロレスのプロレスラー。現在フリーで活動中。三代目タイガーマスクとしても活躍した

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篁五郎

たかむら ごろう

1973年神奈川県出身。小売業、販売業、サービス業と非正規で仕事を転々した後、フリーライターへ転身。西部邁の表現者塾ににて保守思想を学び、個人で勉強を続けている。現在、都内の医療法人と医療サイトをメインに芸能、スポーツ、プロレス、グルメ、マーケティングと雑多なジャンルで記事を執筆しつつ、鎌倉文学館館長・富岡幸一郎氏から文学者について話を聞く連載も手がけている。

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