職人肌のプロレスラーから“おふざけ路線”へ転身!田口隆祐が語る「自由」への挑戦 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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職人肌のプロレスラーから“おふざけ路線”へ転身!田口隆祐が語る「自由」への挑戦

■中邑、後藤、ヨシタツ…新日同期との絆

 田口が入門した2002年は練習生が5人。同期は、世界最大のプロレス団体であるWWEで活躍する中邑真輔、現在も新日本プロレスのトップ選手である後藤洋央紀(※3)、現在「プロレスリング・ノア」で活動するヨシタツらがいた。

 

▲新日同期の5人、前列右が田口 写真:産経ビジュアル

 

 アクの強いメンバー揃いだが、寮ではみんなストイックな生活をしていたという。

「練習生ってやることが多いんです。朝8時に起きて、寮と道場の掃除。10時から3時間みっちり練習をして、それから先輩たちの練習着を洗濯したり、ちゃんこ番だったり、雑用をこなすので休む暇がないんです。その後も寮を見回りして軽い掃除をしてから寝るんで、変なことを考える余裕はなかったですね。つらくて『辞めよう』と思ったこともありましたが、同期がたくさんいたのでお互いに励まし合ってましたよ」

 当時、新日本プロレスのコーチをしていたのが木戸修(※4)だった。木戸の教えは「THE・昭和」。

「夏でも窓を閉めきってましたし、水を飲むのも厳禁。夏なんか室温40度を超えますし、湿度的にもアウトです。ウォーミングアップでスクワット500回のあとにジャンピングスクワットをやるんですが、さらにその後に道場の中をウサギ跳びで走らされまして」

 そんな環境で練習していたら脱水症状になりそうである。しかし、対策を練っていた。

「練習の前に色んな所に水を凍らせたペットボトルを隠していました。木戸さんもキツいから必ず水を飲みに道場から出ていくんですよ。その間を見計らって隠したペットボトルの水を飲んでましたよ。あの頃は『力水』なんて言ってました」

 過酷な練習、そして数々の雑用をこなした。しかし、田口は「絶対に辞めない」という覚悟を持つようになったという。同期の後藤洋央紀が怪我で道場から一時的に離脱したことが、きっかけだ。

「僕は、後藤洋央紀がデビューしたらプロレス界の歴史を変えるくらいの選手になると思っていたんです。でも、僕との練習で怪我をして寮からいなくなって、勝手に責任を感じてましたね。後藤は『必ず返ってくるから』と言ってくれて、『それまでは絶対に辞められない』と思って踏ん張りました」

 同期の絆は固く結ばれている。

 2022年9月に東京・国立代々木競技場第二体育館にて『TAKAみちのく30周年記念大会』で田口、後藤組VSヨシタツ、タイチ(※5)組のタッグマッチが行われる前には、SNSで「全員ヤングライオンの格好でいこう」と盛り上がっていた。彼らは今も新日本プロレスやプロレスリング・ノアのリングで戦いを続けていて、その姿も田口に刺激を与えているに違いない。

※3 後藤洋央紀:新日本プロレス所属のプロレスラーで田口隆祐の同期。新日本プロレス夏の風物詩『G1 CLIMAX』を当時最年少で優勝した実力のある選手である
※4 木戸修:新日本プロレスで活躍をした名レスラー。「プロレスの神様」カール・ゴッチから「マイサン(私の息子)」と呼ばれるほど評価をされる
※5 タイチ:全日本プロレスでデビュー後、ハッスルを経て新日本プロレスへ入団したプロレスラー。好角家として知られており、時折相撲を思わせる技を試合で見せている

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篁五郎

たかむら ごろう

1973年神奈川県出身。小売業、販売業、サービス業と非正規で仕事を転々した後、フリーライターへ転身。西部邁の表現者塾ににて保守思想を学び、個人で勉強を続けている。現在、都内の医療法人と医療サイトをメインに芸能、スポーツ、プロレス、グルメ、マーケティングと雑多なジャンルで記事を執筆しつつ、鎌倉文学館館長・富岡幸一郎氏から文学者について話を聞く連載も手がけている。

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