開戦前から存在していた
兵装転換の危険性
ミッドウェー海戦 “運命の5分間”の真実 第3回
はるか後方の戦艦大和に座乗していた連合艦隊司令長官の山本五十六大将が作戦中止を命じたのは6月6日、午前2時55分のことである。
ミッドウェー海戦の敗北を招いた要因として、南雲機動部隊司令部が命じた兵装転換があげられる。同司令部は司令長官の南雲忠一中将、参謀長の草鹿龍之介少将、首席参謀の大石保中佐、参謀(航空甲)の源田実中佐など。南雲は特に航空畑の源田の意見を尊重していたと言われる。
従前、兵装転換に関連し、「運命の5分間」という表現がもっともらしく流布したことがある。簡略すれば、6月5日午前7時20分(現地は4日午前10時20分)、司令部から「第2次攻撃隊、準備出来次第発艦せよ」との命令が下建され、あと5分あれば攻撃隊全機の発進が終わる…まさにそのタイミングで敵艦爆隊に襲撃された、というものである。
実に劇的だが、今日では「機動部隊戦闘詳報」や『戦史叢書』(公刊戦史)、生存者の証言などから、攻撃隊は格納庫で出撃準備中に被爆したというのが真相のようだ。悪夢のような惨事を招いた無念の思いが「イフ」を思わせる表現になったのかもしれない。
連合艦隊司令長官の山本五十六大将は作戦を前に、敵機動部隊の索敵に最善を尽くし、攻撃隊の半数は魚雷装備するように厳命していた。5月25日、戦艦大和で最後の作戦打ち合わせが行われた際、1航艦はこれを確約した。
ところが翌26日、旗艦赤城での作戦計画の打ち合わせの際、第2航空戦隊司令官の山口多聞少将は司令部の索敵が不十分であることを指摘、再考を強く求めた。そもそも索敵の重要性と兵装転換厳禁を山本に訴えたのは山口だった。4月にイギリス海軍の拠点セイロン島(現・スリランカ)奇襲の際にとった兵装転換の危険性を知り、教訓にしていたからである。