西武鉄道安比奈線【前編】半世紀にわたる「休止」がついに終焉
ぶらり大人の廃線旅 第7回
■半世紀にわたる「休止」も今年限り
東京という大都市を立体的に盛り立てていた縁の下の力持ちである砂利も、川にしてみれば採られ過ぎだったようで、さすがに河床が低下して橋脚が洗掘されて傾いたり、田んぼに用水が引けなくなるなど事態が深刻化したため、川砂利の採取はおおむね昭和40年(1965)前後には全面禁止されるところが多くなった。これが安比奈線にも及び、同線は昭和42年(1967)に休止されている〔昭和38年休止とする資料もあるが、その根拠はわからない〕。
その後は半世紀近くにわたって休止が続いてきたが、あくまで「休止」であるためレールは撤去されずに錆び付き、枕木も朽ち果てた状態で放置されてきた。もちろん砂利採取の復活はあり得ないだろうが、西武には安比奈の終点近くに車両基地を作る計画があったため、廃止に踏み切らなかったという。この計画は乗客数が伸び続けていたバブル期のものというが、少子化・高齢化による乗客減が現実のものとなって撤回された。このため今年になって西武鉄道では11月末の廃止を決定、その後レールなどは撤去されるという話になったことを知り、「見納め」に再訪した次第である。
南大塚駅のホーム北側には相変わらず安比奈線のレールが残っているが、ホームの所沢寄りには起点を示す0キロポスト。北口を出て緩く左へカーブする廃線沿いに歩くが、雑草の茂る廃線敷には架線柱が立っており、国道16号を渡った先では吊架線(パンタグラフに接触するトロリ線を吊る線)も垂れ下がり気味に残っているところもあった。
線路は西武鉄道により「立入禁止」の札が要所に立てられているので、さすがに遠慮して線路際を歩くこともしたが、地元の人は平気で歩いているから、土地のやり方にも少々倣ってみた。お薦めはしないけれど。純然たる廃線とは違って大半の区間でレールが残っているが、その跡地の様態はいろいろで、畑になっているところ、花壇として手入れされているところなどが混在している。もちろん西武鉄道に許可をとっているわけではない。
■蒸気機関車が牽いていた?
レール際の花の手入れに来ていた老婦人に話を聞いてみると、子供の頃から近くに住んでいるとのことで、昭和30年代には砂利を積んだ貨物列車をよく見かけたという。電化されているので電気機関車ですねと問えば、「いや蒸気機関車だったと思いますよ」との答え。けっこう何両も長く繋いだ砂利の貨車を牽いていたそうで、それほど頻繁ではないけれど、1日何度かは通っていたという。
後で調べると電化は昭和24年(1949)のことで証言と食い違うが、念のため和久田康雄さんの『私鉄史ハンドブック』で西武鉄道の「動力」欄を見ると昭和33年(1958)までは蒸気機関車が使われていたことになっているから、必ずしも矛盾はしない。電気と蒸気の両機関車が運用されていたのだろうか。彼女の話によれば、「砂利採りが禁止される以前からトラックで運ぶことが多くなったので貨物列車が走らなくなったんじゃないですか」という。
話を伺った地点から先は一段低い地形になっていて、比高3~4メートルの崖がある。ここからは入間川の沖積地を築堤で進む区間だ。今では少なくなったが、昔の地形図でこのあたりを見ると田んぼが広がり、その間に農家が点在している。回り道して赤間川の橋梁に出た。錆び付いたプレートガーダー(鈑桁。橋桁の一種)が放置されており、年齢を重ねて疎らになった歯のような枕木が、やはり錆びたレールを支えている。
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