小牧源太 ~美濃のマムシ・斎藤道三を討ち取った男~
日本史の実行犯 ~あの方を斬ったの…それがしです~
しかし、さすがに多勢に無勢―――。
道三方は徐々に崩れ始め、その多くが討ち死にし、道三の周りにはわずかな近習を残すのみとなりました。
「城田寺(きだいじ)へ逃れ、そこで腹を切る」
近習たちにそう告げると、道三は鷺山城の北にある城田寺へ落ち延びようとしました。
ところが、そこへ義龍方の武士数名が道三を必死に追いかけてきました。
「生け捕りにして義龍様の御前に引き立てるのだ!」
長井忠左衛門(義龍の家臣)が生け捕りにするために、道三に襲い掛かり組み敷きました。
「下郎め!」
道三は必死に抗いますが、齢六十三になる老人の力ではどうしようも出来ません。
忠左衛門が道三に縄をかけようとした、その時でした―――。
「どけ!」
その場に駆け付けた源太が、忠左衛門と道三を斬り付けました。その一刀は忠左衛門をかすめ、道三の脛を薙ぎました。
「何をする小牧殿!」
驚いたのは忠左衛門でした。自分が生け捕りにしようとしていたにも関わらず、道三もろとも斬られそうになったためです。思わず組み敷いていた道三から離れてしまっています。
「大殿はわしが討ち取る!」
脛を斬られた道三は、満身創痍ながら何とか顔を上げ、眼前の荒武者と目を合わせました。
「おう、源太か。生け捕りにされて引き立てられるなど御免じゃ。頼む」
源太は無言で深く頷き、刀を上段に構えました。
「大殿、お世話になり申した」
刀が振り下ろされ、道三の首が胴から離れました。国盗りを成し遂げた戦国の梟雄の最期でした。
道三の首は義龍の下へ運ばれた後、長良川に晒されました。普通であれば、そのまま晒されるのですが、なぜか道三の首はすぐに長良川から姿を消しました。
(大殿の斯様な姿など、見たくはない!)
道三の無残な姿に心を痛めた源太は、実は密かに長良川から首を運びだし、土中に埋めて葬っていたのです。
源太が道三の首を埋めたと言われる場所は長良川の洪水によって流されてしまいましたが、江戸時代後期に別の場所に移され、現在も「道三塚」として岐阜市の道三町に残されています。
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