「僕は負けたけど萎縮しない」スラップ訴訟で判決が確定した水道橋博士に、敗訴後の気持ちを聞いてみる「まだ始まってもねぇよ!!」【篁五郎】
続・水道橋博士の闘争宣言
■訴訟と参院選出馬が重なったのは偶然
ーー訴訟を起こされたことで生活に支障は出たのでしょうか。
博士 すごい影響ありましたね。当時、CBCラジオでも月1のレギュラー番組がありましたけど、「そちらも訴えられたならすぐに降りてほしい」と言われたんです。僕は「(CBSラジオに出演している)橋下徹さんは、原告被告両方で裁判やっていますよね。どうして僕だけが、降板しないといけないのですか?」と聞きました。現場は守ってくれる雰囲気だったけど、結局、会社の方針みたいな形で有耶無耶に降板になって、判決後の復帰もなかったですね。
他にも、セミレギュラー番組とBS放送局・TwellVのレギュラーがありましたけど、れいわ新選組から選挙に出ると決まったら降板になりました。
ーー今仰ったように、裁判の最中、参議院議員選挙に立候補することになりましたが、目的は世間に訴えるためでしたのでしょうか。
博士 それもあります。でも出馬は本当に偶然なんです。参院選の時期に、偶然、松井さんが新宿に維新の候補者の応援演説で上京していたんです。僕は、松井さんに「自分の投稿をリツイートした人を訴えるのはやめてほしい」と伝えるために、現場へ乗り込みましたが、結局、松井さんは、「法廷で会いましょう」と一言残して、僕から逃げてしまった。そのときに同伴していたフリージャーナリストの及川健二さんから、「溝の口でれいわの山本太郎が街頭演説やっているから見に行こう」と誘われたのがきっかけです。行く前は、選挙に出ようなんて思ってもいませんでしたよ。
ーー実際に出馬を要請されたときはどんなお気持ちでしたでしょうか。
博士 唐突すぎましたね。僕はタレント議員を批判してきた人間ですから。それに裁判があるのでお金も必要でしたし、選挙なんてさらにお金もかかるし、考えたこともない状況ですからね。
山本代表には、「人に借りを作りたくないから供託金の用意が自分でできるなら考えます」って言ったら、その場で「供託金は党が払う」と言ってくれたときに少し心が揺れました。あの街頭演説は、YouTubeライブで流れていたので、翌日、長谷川ういこ(れいわ新選組参議院政策委員)さんの旦那さんである朴勝俊(関西学院大学教授)さんも見ていたみたいです。

朴さんが、Xで僕宛に「選挙の費用は、公金か有志の寄付によるべきで、候補者が負担すべきではないとジョン・スチュアート・ミルも言っています」と投稿していたんです。それを見て、議員になって国会で自分で反スラップ訴訟法を作るのも「あり」かなと思い始めました。
ーー米山隆一さんにはご相談したのですか。
博士 事後報告でしたね。要請されてから、妻と子供たちに話をしないといけませんでしたし、師匠(ビートたけし)にもお伺いを立てる必要もありました。それで報告が遅れちゃいまして。
「もし、本当に選挙出るなら(自分が所属する)立憲民主党から出てほしかった」とは言っていましたね。