「僕は負けたけど萎縮しない」スラップ訴訟で判決が確定した水道橋博士に、敗訴後の気持ちを聞いてみる「まだ始まってもねぇよ!!」【篁五郎】
続・水道橋博士の闘争宣言
■「反スラップ訴訟法」は必要だった

ーー実際にれいわ新選組の全国比例区の候補者として選挙を戦いながら、裁判にも対応するのは難しいと感じたりしましたか。
博士 選挙が始まると、米山さんが僕から引いていくのが手に取るようにわかるんです。(米山氏が所属する立憲民主党とは)消費税を巡って対立する党でしたから当然ですね。
断言は出来ませんが、僕が騒げば騒ぐほど、米山さんも党内で立場が悪くなる部分もあると思うので、意欲を失ったのかもしれません。
選挙自体はスラップ裁判をアピールするのにもってこいだったんです。今、衆議院議員をやっている八幡あいさんと大阪で一緒に演説したときは、大阪市役所の前で松井さんに向けてアピールしたり、名古屋でも松井さんが応援演説に来ると知ったので、本人の前に突撃したりしましたからね。
僕は「スラップ訴訟の被告」の立場を全面的に押し出し、ほぼ「反スラップ訴訟法制定」のワンイシューで選挙をやりました。
世耕弘成さんも、青山学院大学の中野昌宏教授にスラップ訴訟を起こしましたよね。「政治家は批判されて当然」「権力者はやたらと権力を行使してはいけない」という常識が、今は通らなくなっているんですよ。
そういう人たちは、簡単に訴訟を起こします。橋下さんなんかそうですよね。こういう政治家の権力勾配を利用した安易な訴訟は社会の言論の自由を萎縮させるので、それをストップをかけるためにも「反スラップ訴訟法」は必要だと今でも思っています。
そういえば、これも公に話していますけど、議員になってすぐくらいに、「反スラップ訴訟法」を内閣委員会に出そうってボクが動いていたんです。そうしたら自民参院の首領と言われる世耕(弘成)さんが、ある共通の知人を通して「極秘で会いたい」と打診してきたんです。勿論TVタレント時代には懇意にしていた ので、お話もできますが、僕は「全部日記に書きますよ」と言って断りました。あのとき全省庁が、法案を出させないように動いてましたね。
ーーそうだったのですね……。では話を変えまして、法廷に初めて足を踏み入れたときはどんなお気持ちでしたでしょうか。
博士 大阪の一審で法廷に立ったときのことは、今でも覚えています。僕が「暗くて見えにくいですけど、今日松井一郎さんは来ているのですか」とボケて尋ねたら、失笑が漏れたんです。裁判は本人が来なくてもできるのはわかってはいたけど、何か腑に落ちない気持ちでしたね。ちなみに松井さんは最後まで一度も裁判所には来ていないですね。
傍聴席には、大石あきこ(れいわ新選組共同代表)さんと彼女の支持者も駆けつけてくれたのは嬉しかったな。
ーー実際に当選をされて、さあ法律の制定と裁判、というタイミングで博士は休養に入られました。その時期は裁判は動いていましたか?
博士 進捗はしていたと思います。僕は議員になってすぐにうつ病になったので、詳しくはわからないんです。米山さんは医師でもありますから、僕の体調にも気を遣って裁判のことは何も言わなかったと思ってるんですね。だから詳細はわからない。
一審の判決が出たとき、僕は体力的にも限界で、淡々と結果を受け止めるしかありませんでした。