「僕は負けたけど萎縮しない」スラップ訴訟で判決が確定した水道橋博士に、敗訴後の気持ちを聞いてみる「まだ始まってもねぇよ!!」【篁五郎】
続・水道橋博士の闘争宣言
■「まだ始まってもねぇよ!!」
ーー今回の結果が判例として残ることに残念な気持ちはありますか。
博士 確かに判例として残りますけど、他方では、ここ数年の大阪地裁・高裁の判決は、維新に忖度していておかしいという声もあります。判例に残ってしまうと、「権力者への批判が萎縮する恐れが出るかも」という意見があるのも承知の上で言わせてください。
過去の判例が未来永劫ずっと残るのであれば、例えば、黒人や女性は永久に人権を得ていないはずなんです。時代と共に人権の意識が広がれば、社会で弱い人への認識が啓蒙されて伝われば、どこかでおかしな判例は変わっていくだろうし、いくべきなんです。弁護士も裁判官もおかしいと思う判例は、法律に則って変えていけばいいじゃないですか。だってそうじゃなければ、人の人権なんて既得権益者は常に権利が守られ、金持ちだけや権力者だけが裁判を仕掛けられる。社会的弱者には反映されない。永遠に変わりませんよ。
僕は、確かに今回の裁判で負けました。「悪い前例が残った」と言われるかもしれない。でも、僕はそう思っていないんです。今、実際に一部の法律家は権力側に忖度しながら、法の運用や解釈をしているわけじゃないですか。
僕は、そんな法律家たちに「貴方達だって悪いんだよ、胸に手を当てて考えて欲しい」という言説を作るほうがいいと思っています。色んな人が「裁判に負けて悪い前例を作って申し訳ない」と言っているけど、僕はそうは思いません。
例えば橋下さんでいうと、フリージャーナリストの岩上安身さんとの名誉毀損裁判では、橋下さんが勝ちましたよ。でも、同じような内容の裁判なのに、大石あきこさんとの裁判は橋下さんが負けました。どちらも、橋下さんのパワハラ問題について名誉毀損で訴えてきたものですよ。
大石さんの裁判結果を、テレビはもっと大きく取り上げるべきだと思うんです。でもやってくれませんね。安倍政権以降のメディアは権力に忖度してどこまで腐っていくんだ、と。二審で負けた後にやった記者会見で、僕がマスコミの記者へ呼びかけたのも、「おかしなものをおかしいと言うのもメディアの役目、なぜ立ち上がらないんだ」だと言いたかったからです。
現場で色々あるのはわかっているつもりです。でもね、「いつまで上の言いなりになって権力側が都合の良い記事をそのまま垂れ流しているんだ」と言いたいです。「あなたの人生のなかで社会や歴史に果たす役割や職業的な使命をわかっているのか?」と。
ーーありがとうございます。最後にスラップ訴訟を経験した一人として、こうした裁判が乱発されないようにする方法があればお聞かせいただけますでしょうか。
博士 言論に萎縮しないことですかね。黙ったら向こうの思う壺ですから。僕も負けたけどそのまま大人しくならないように意識していますよ。
今は個人で戦うのは難しい時代かもしれませんけど、どこかに仲間や同志はいると思いますので、萎縮しないで言論を戦わせてほしいですね。
ーー最後に松井一郎氏へ対してお言葉があれば。
博士「後ろめたい人生でしょうね」ですかね。政治家を引退して豪邸に住んで悠々自適に暮らし、今も、時々に政局に対して院政のつもりなのか、長老めいた苦言を呈したりしていますが、「それで貴方の政治家人生は満足ですか? 弱い人を恫喝するような過ごし方をして嬉しいですか?」こう言いたいよね。
あの人は「ボクにも家族もいれば、周りに近い人がたくさんいるから市長としてではなく、私人として戦う」と言いましたけど、俺にだって妻と3人の子どもがいるんですよ。子どもはまだ就学中ですよ。あなたに賠償金払うために学資保険切り崩しましたよ。
自分が被害者みたいな顔をしているけど、裁判を「やれ」って命令しただけで、裁判所には一度も来ないで、僕と向かい合うことも逃げ回り、権力者になって、他人の人生をむちゃくちゃにして、平気の平左(へいざ)のまま生きているのは自分だろ、と言いたい。
自分が権力を嵩にして起こした訴訟の裏で、生活苦を抱えて泣いている人がいることを知ってほしいです。それと維新に関わる人、全般に言えることですが、「まず弱い人を守ってほしい」そして、「間違った時には謝ること」を覚えてください。そして、ボクに関して言えば、松井さんが誠意を持って謝ってもらえれば、ボクはそれで許します。
でも、既に賠償金も払い込みましたけど、僕からしたら、これで綺麗サッパリと終わりじゃないんです。あえて言いますが、「まだ始まってもねぇよ!!」と言わせてください。

取材・文:篁五郎