現役東大女子が分析した東大女子の今
現在観測 第6回
一方で、このような学生に冷たいまなざしを向ける学生もいる。変えることができるかわからない社会の変革を試みるよりは、既存の男性優位社会に迎合し、その枠組みを受け入れ、その中で勝ち上がるために自己の強化を図ろうとする者だ。自分の時間を無駄にせず、男性相手にも遜色取ることのない、むしろ彼らに勝るそんな能力を身につけようと資格習得や学問に励む。
そして第三の立場を取るのが、女性進出にそもそも疑問を投げかける立場である。結婚率の低下や、それに伴って高齢出産や少子化といった近代社会問題は、男女平等を唱え始め女性の社会進出が進んだところに端を発するのではないか。出産や体力面を考えれば労働力としてはどうしても女性は男性に劣ってしまう。元来の男性が働き、女性が家を守るという仕組みに立ち戻るのが社会全体の幸福につながるのではないか。そのような場合に問題となるのが、働きたいという願望を持っている女性である。
彼女たちにとっては、その社会体制は苦痛である。ただ、願望や理想といったものは教育や慣習によるものが大きく、そのような勤労願望を抱かないよう、つまり女性は家庭を築くことこそが幸せであるという教育を幼少期から行うことでそもそもそのような願望を抱かないようにしてしまえばよいという考えである。
このような考えをもつものが一定数見られるのは、彼女たち自身の母親の専業主婦率が高いことがある程度寄与しているだろう。潤沢な教育費を充てられる家庭の出の者がそのほとんどを占める東大らしい傾向だ。そして、興味深いのは、東大女子は、フェミニズムに立つ彼女たちであっても、既存のヒエラルキーで高位に立つ、いわゆるエリート男性を好む傾向が強いということだ。口先では「理想の社会」を唱いつつも、心のどこかでは、または本人の自意識に及ばない潜在意識レベルではそのような社会は叶わないと悟ってしまっているのであろうか。
もちろん全員がジェンダーに対して何らかの主義を取っている訳ではなく、筆者のように特にそれに対して強い思い入れを持たなかったり、あまりジェンダーを意識したことのない者もいる。既に何らかの主義を持っていたとしても、彼女たちの立場はどれかに固定されるわけではない。在学時にはフェミニズムに傾倒していたが、実社会に出て考えを改める者がいれば、在学中の留学を機にいきなりフェミニズム信者となり「女性だからといって女性らしい格好をしなければならないということは全くないもの。」と頭を丸坊主にしてしまった者もいる。
彼女たちが最終的になにを考え、結論を出し、どのような生き方を選ぶのか。それは今後の日本社会を写す鏡の一つかもしれない。五年後、十年後、百年後…その鏡にはいったいどんな景色が写るのであろうか。
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