日本人初のノーベル賞受賞者・湯川秀樹博士を育てた父の教え 「学校の席次のための勉強などは、最も愚劣」
将来賢くなる子は「遊び方」がちがう③
◆日本人初のノーベル賞・湯川博士が教えられたこと
一方、「学校の席次のための勉強などは、最も愚劣なこと」と父親から言われたのは、1949年に日本人で初めてノーベル賞を受賞した理論物理学者の湯川秀樹博士です。
湯川氏の父、小川琢治氏は地質学者で京大教授。教鞭を執る立場ながら、千住家の父、鎮雄氏と同様に、「勉強しろ」とは一度たりとも言わず、「好きな学問を広く深く学ぶように」と説いていたそうです。
冒頭の言葉も、真の学問とは成績を上げるためでなく、自己の好奇心に忠実に、かつ主体的に行うものであること、その結果として個人の能力が伸びて才能が花開くことを教えているのです。それにしても「愚劣である」とは痛快です。
湯川氏の回想録によると、父の琢治氏は、京大生から「雷親爺」とあだ名をつけられるほど一徹な人物。実にアクティブな人でもあり、地質調査のために日本全国の山岳地帯を巡り、さらに中国に渡って地質の研究を行い、地球を何周したかわからないほどの距離を踏査しています。
息子は湯川氏を含めて5人。長男の小川芳樹氏は冶金(やきん)学の大家で東大教授。次男の貝塚茂樹氏は中国古代史の専門家で京大名誉教授。三男が湯川氏で、その弟の小川環樹氏は中国文学者で京大教授。戦病死した五男以外は全員優れた学者となり、しかも、文系と理系の両方が輩出されているのは珍しいケースといえるでしょう。
◆「勉強をしなさい」と言わずに学ばせるツボ
両家の子育ては勉強を強要しないこと以外にも共通点があります。子どもが賢くなるツボが、しっかり押さえられているのです。
たとえば、千住家の場合、先述した壁いっぱいのお絵描き以外にも、母親がつくった画用紙のラッパをみんなで真似てつくったり、庭で星空を眺めながら物語を聞かせたり。そうした日常によって、子どもたちの創造力はぐんぐん伸びたことでしょう。
鎮雄氏が米国・アトランタの大学にいたときには、車で6000キロを走破するアメリカ大陸横断旅行を敢行しています。子どもたちは小4、小1、幼稚園児。感受性が育つ時期に、父親の運転する車で広大なアメリカ大陸を旅した経験は、子どもたちの成長に大きな影響を与えたことは想像に難くありません。グランドキャニオンでは鎮雄氏が一番喜んでいたそうですが、まず親が楽しむことも実はとても大切なことなのです。
対して、湯川氏は自伝の中で小学校に上がる前から、「大学」「論語」「孟子」といった「四書五経」の素読を祖父から受けていたと綴っています。素読とは意味の解釈はさておき、文字だけを声に出して読むことを言います。時代劇などに寺子屋で子どもたちが「子、曰く……」と声を揃えている場面が出てきますが、それが素読です。
湯川氏にとって、幼少期の素読は学問を修めるための基礎力となったようで、自伝には次のように記されています。
「私の場合は、意味も分らずに入って行った漢籍が、大きな収穫をもたらしている。その後、大人の書物をよみ出す時に、文字に対する抵抗は全くなかった。漢字に慣れていたからであろう。慣れるということは怖ろしいことだ。ただ、祖父の声につれて復唱するだけで、知らずしらず漢字に親しみ、その後の読書を容易にしてくれたのは事実である。」(『旅人│湯川秀樹自伝│』角川文庫)
賢人は本をたくさん読むといいますが、湯川氏も例外ではないのでしょう。その読書の習慣をつけてくれたのが祖父と一緒に行った素読だったというわけです。
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