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骨折したまま投げた日本シリーズに絶望を味わった。581試合登板した山本昌が最も悔しかった日

なかなか勝てなかった若手時代。6年目にあった転機

Q.現役時代、最も悔しかった登板を教えてください

 悔しい登板は数多くあります。誰でもそうでしょうが、故障をしたり、勝てない時期などはくじけそうになります。ただ、プロ野球選手のみならず、仕事をしている限りは現実から目を背けてはいけないのではないでしょうか。

 私自身、くじけそうになったことは多々あります。

 そこまで感情的に追い詰められたのは、2006年の日本シリーズでした。私はこの年に11勝。9月16日の阪神戦では最年長ノーヒットノーランを達成するなどパフォーマンス自体は悪くありませんでした。

 ですが、日本シリーズを前にして状態は万全かと言えば、そうではありませんでした。シーズン終盤に左ひじを骨折してしまったのです。私は医師の登板禁止命令を振り切り、チームにも故障を隠して日本ハムとの日本シリーズ第2戦に登板します。

 その結果、2対1と中日リードの7回に、金子誠選手に逆転タイムリーを打たれてしまいました。
「もう、無理だ……」
 悲痛の思いを抱いたまま私はベンチに下がりました。私は、日本シリーズでは1勝もすることなく引退しました。今思えば、この登板が最大のチャンスになるかもしれないことを、自分でもわかっていたのでしょう。
 

 

 この日に限らず、私は581試合の登板で、マウンド上では一度たりとも「楽しい」と感じたことがありません。5点差以上の差がついていて、勝利がほぼ間違いない状況であれば少しは安心しましたが、楽しくはなかった。勝利した後や、優勝した過程を振り返るほうが楽しかったです。

 だからこそ私は、現役時代は「どんなコンディションでも最低限の仕事ができうるように準備しよう」と自分に言い聞かせ、地道にトレーニングを積んできたつもりです。それが精神安定剤になっていたのかどうかは分かりませんが、少なくとも「自分はこれだけのことをやってきたんだ」と自信を持つことができる。もし「逆境をはねのけられた秘訣は?」と聞かれれば、私は「地道な努力です」と答えるでしょうね。
 

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山本 昌

やまもと まさ

1965年8月11日、東京都生まれ。神奈川・日大藤沢高から83年秋のドラフト5位で中日ドラゴンズに入団。プロ5年目、88年の米国への野球留学をきっかけに飛躍し、同年8月プロ初勝利。以後はスクリューボールを武器に活躍する。93年に最多勝利、最優秀防御率のタイトルを獲得すると、翌94年には連続最多勝利と沢村賞に輝く。97年にも最多勝利。2006年9月16日対阪神戦でプロ野球史上最年長の41歳1カ月でノーヒットノーラン、08年8月4日の巨人戦で史上24人目となる通算200勝を樹立。通算581試合に登板し219勝165敗。


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