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メジャーリーグへの切符を手に入れていた――山本昌がメジャーに行かなかったワケ

現役生活32年のなかで「メジャー」挑戦への思いはなかったのか? 衝撃の事実が。

Q.メジャーリーグに挑戦したいと思いませんでしたか?

 そこまでの選手ではありませんでしたから。
 球速だってそんなに速くありませんでしたし、私がアメリカ留学をしていた時期のメジャーリーグは別世界でしたから、考えもしなかったです。

 これは88年のシーズンが終わった後、関係者から聞かされたのですが、どうやらメジャーリーグ昇格のチャンスがあったらしいのです。
 でも、当時の私は23歳と若く「日本のプロ野球で活躍したい」と、その一心で努力してきましたし「日本で1勝もしていないピッチャーに何ができるのだろう」と想像もつきませんでした。だから仮に私の耳に直接メジャーリーグ行きの話があったとしてもお断りしていたと思います。

 ただ、今の感覚で話すのであれば、もし、中日が80年代後半から90年代前半にかけての西武のように黄金時代を築けていたのなら、メジャーリーグ挑戦を考えたのかもしれません。
 しかし現実の中日は、54年以来日本一を経験していませんでした。私が入団してからも、88年の日本シリーズで西武に負けましたし、94年の巨人との優勝決定戦「10.8」でも敗れましたから「絶対に来年こそ優勝してやる!」という意気込みのほうが強かった。
 何より、中日にはとても大事にしていただきましたから、チームを離れることなんてできませんでした。

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山本 昌

やまもと まさ

1965年8月11日、東京都生まれ。神奈川・日大藤沢高から83年秋のドラフト5位で中日ドラゴンズに入団。プロ5年目、88年の米国への野球留学をきっかけに飛躍し、同年8月プロ初勝利。以後はスクリューボールを武器に活躍する。93年に最多勝利、最優秀防御率のタイトルを獲得すると、翌94年には連続最多勝利と沢村賞に輝く。97年にも最多勝利。2006年9月16日対阪神戦でプロ野球史上最年長の41歳1カ月でノーヒットノーラン、08年8月4日の巨人戦で史上24人目となる通算200勝を樹立。通算581試合に登板し219勝165敗。


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