日本史の実行犯~あの方を斬ったの…それがしです~
遠藤又次郎・喜三郎 ~日本初の銃暗殺を遂行した兄弟~
又次郎の覚悟に感じ入った直家は「功を成せば褒美はそなたの望みに任せる」と約束をし、又次郎を送り出しました。又次郎が決死の謀を潔く承諾できたのは、狙撃術を買われて直家に仕えた時点で、このような謀に加担する時が来るという覚悟があったのかもしれません。
そして、時は永禄九年(1566年)二月五日―――。
短筒(丈の短い鉄砲)を隠し持ち、家親の本陣へ向かう又次郎。その隣には弟の喜三郎の姿がありました。
「万に一つも生きては帰れぬ。兄上は死ぬ気であろう。それならば、某も一緒に死のうではないか」
兄から家親暗殺の命令を打ち明けられた喜三郎は、決死の謀略に付き従ってきていたのです。
三村家親が本陣を張るのは、美作国久米郡穂村(岡山県久米南町)の興禅寺(こうぜんじ:興善寺とも)でした。2人は夜陰に紛れて裏の竹林から忍び寄り、本堂の縁の下に隠れました。どっぷりと夜が更けてから又次郎は縁に上り、本堂の中を覗こうと、指に唾をつけて障子に穴を開けました。本堂ではまだ軍議が開かれていました。本堂の中には仏壇があり、その前に座している人物こそ三村家親でした。
(これは天が与えてくれた最上の狙撃場所である…!)
家親や家臣たちはこちらの気配に全く気付いていません。又次郎は短筒を手に取り、障子に開いた小穴から家親を狙いました。そして、火蓋(ひぶた)を切って狙撃に移ろうとしました。
しかし、ここで予期せぬことが起きてしまいます。
「な、何ということだ…。喜三郎、ひ、火が…」
何と、火蓋を切った時に、火縄の火が消えてしまったのです。これでは弾を放つことは当然出来ないため、どこかで火種を手に入れなくてはいけません。
「何をやっておるのです、兄上…!」
縁の下に戻った又次郎は、己の大失策に落胆を隠せません。
「まったく…。某が何とか致します!」
「どこへ行くのだ、喜三郎!」
縁の下から飛び出した喜三郎は、何を思ったか、本陣を警護する三村家の番人に紛れて篝火に近づきました。そして、自らの羽織の裾を篝火に近づけて火をつけました。
「何だか焦げ臭いぞ」
周囲にいた番人たちが不審に思い始めました。すると喜三郎がいきなり番人たちを怒り始めました。
「篝火が燃え移って、わしの羽織の裾が燃えているではないか!危ないではないか!」
慌てる番人たちをよそに、喜三郎はその場をさり気なく立ち去りました。「火を揉み消してくる」「羽織を着替えてくる」などと言って、その場をごまかしたのかもしれません。
喜三郎は羽織に火を灯したまま元の場所へ戻ってきました。
「喜三郎、裾が燃えているではないか!」
「兄上、それは良いですから、早く火縄を!」
喜三郎は又次郎から火縄を受け取り、羽織についている火を移しました。
「兄上、しっかりなさいませ!家親を撃ち取るのです!」
「すまぬ、喜三郎!」
再び縁に上った又次郎は、障子の穴から中を覗きました。すると、家親は仏壇にもたれかかって眠りについていました。
(これが最後の好機じゃ…)
狙いを定めた又次郎は、静かに引き金を引きました。
―――――――!!!!