大海原に巡らされた警戒網が
バルチック艦隊の動向を察知
日露戦争の真実 日本海海戦の戦略を読み解く 第6回
バルチック艦隊がウラジオストックへ向かうコースとしては対馬、津軽、宗谷の3海峡が想定された。敵艦隊の動きをいち早く捕捉するために連合艦隊は秋山真之中佐が中心となり、緻密な哨戒作戦を練りあげた。
秋山は海図上に朝鮮半島の南にある済州島と佐世保の間に直線を引き、それを北限として南側に正方形を描き、緯度、経度とも10分ごとに碁盤割にした。哨戒船は貨客船などに大砲を据えた仮装巡洋艦など70隻以上を用意。それらの哨戒船を碁盤の目の中に配置した。
5月18日、鎮海湾にいる東郷平八郎司令長官のもとに「バルチック艦隊がインドシナ半島を離れた」との連絡が入った。東郷司令長官はかつてイギリスの商船学校で学んだことがあり、海運にも詳しかった。輸送船を伴った大艦隊が燃料のかかる太平洋側を回り、狭い津軽海峡を通るような無謀な真似はしないと読んでいた。しかし何事にも絶対ということはない。
秋山は万が一の場合も想定し、バルチック艦隊との決戦のために用意していた秘密兵器の連繋機雷を改良し、津軽海峡でも使用する作戦を立てていた。連繋機雷は4つの機雷をロープで100メートルごとに繋いだもので、艦艇の艦首に一部が引っかかると、機雷が引き寄せられて艦体に触れて爆発する。
肝心のバルチック艦隊は台湾とフィリピンの間にあるバシー海峡を通過後、行方がつかめなくなっていた。艦隊の航行速度から考えると、そろそろ哨戒船に発見されてもおかしくはない。