甲子園での応援に感謝を込めて、野球部から吹奏楽部への熱いエール
花咲徳栄高校の物語【前篇】
“泣ける”と話題の『吹部ノート2』より一部エピソードを紹介!
8月15日。花咲徳栄高校吹奏楽部のAメンは甲子園球場にいた。この日、野球部は鹿児島の樟南高校と2回戦を行う。県大会を突破したAメンがいよいよアルプススタンドに乗り込んできたのだ。
《サスケ》、《アフリカン・シンフォニー》、《ナギイチ》、《オーメンズ・オブ・ラブ》…。
花咲徳栄の応援レパートリーがスタジアムに響き渡ると、それに鼓舞されたかのように野球部も奮闘。6対3で樟南を退けた。
炎天下での応援は過酷だったが、部員たちは勝利を収めた野球部の姿に大いに刺激を受けて埼玉に戻ってきた。翌々日の3回戦は、入れ替わりで甲子園入りしたBDが応援することになっていた。
「これでちょっとはAメンもやる気になってくれるかな?」
川口先生は思った。
実は、西関東大会出場決定の瞬間はあれほど大騒ぎしたのに、その後の吹奏楽部には停滞ムードが漂っていた。危機感を持って練習をしている生徒がいる一方、「県大会で銀賞だから、もう全国大会なんて無理だ」と諦めている者もいた。
甲子園で応援をした直後、先生が期待するように一時的には部内のモチベーションが上がった。が、すぐに元どおりになってしまった。
「どこかでスイッチを入れなきゃやばいな…」
川口先生は悩んだ。野球部も3回戦で優勝候補である栃木の作新学院高校と対戦し、2対6で敗退してしまった。いったいどうやったら生徒たちをやる気にさせられるだろう? 今の自分たちに足りないのは何だろうか?
そう思っていたある日、野球部の主将である岡﨑大輔とエースピッチャーの高橋昂也が部を代表して応援の礼を言いにやってきた。吹奏楽部員を前に、岡崎が挨拶をした。
「吹奏楽部の皆さんには温かい応援をいただき、選手たちが甲子園の舞台で堂々と力を出し切る上で後押しになりました。本当にありがとうございました」
吹奏楽部からは拍手が贈られた。すると、岡﨑はさらに話を続けた。
「川口先生からは、吹奏楽部は県大会で銀賞だったとお聞きしました。自分は吹奏楽の大会のルールはよくわかりませんが、まだ全国大会に出場できる可能性はある、と。まだ見たことのない全国大会に川口先生を連れていきたいという思いがあれば、自分は絶対行けると信じています。自分や高橋も、部員全員が岩井監督を2期連続甲子園、3期連続甲子園に連れていってあげよう、岩井監督を男にしてやろうという思いで練習に取り組んだ結果、甲子園に出ることができました。野球部からはなかなか吹奏楽部への応援ができませんが、今日は吹奏楽部を応援したいと高橋と一緒にここへ来ました」
そのスピーチは吹奏楽部員の心に刺さった。
後に2年生の長島昇浩(すんほ)はノートにこう書いている。
県大会までの自分は、本当に自分のことばかり考えていてすごくなさけなかったなと思います。
周りを見て自分自身から少しはなれてみると今までの自分の悪いところだったり、他にもいろいろなことに気がつくようになれました。見る角度をかえるだけでこんなに楽しくなるんだなと思いました。
自分の為ではなく誰かの為にがんばるということがどれだけステキなことでどれだけ大切なことかが分かりました。
岡崎のスピーチによって、吹奏楽部員全員が気づかされた。いちばん大切なのは、自分たちのためではなく、応援してくれる人たちのために精いっぱい練習すること。感謝の気持ちを音楽で表すこと。そして、川口先生を名古屋へ連れていくという強い思い──。
その後の吹部のミーティングで生徒たちは、「川口先生の名前を全国大会のパンフレットに載せよう。川口先生を男にしよう」という話で盛り上がった。川口先生は「私を男にするのかよ…」と心の中でツッコミを入れながらも、やはり嬉しかった。
そこから見事に吹奏楽部員のスイッチが入った。川口先生は、「もしかしたら、岡﨑は部の雰囲気を感じ取ってあの話をしてくれたのかもしれないな」と思った。
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以下。後編に続く。次回更新は12月12日16時を予定しております。
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