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古代から『真田丸』の時代まで幾度も戦場となった要所とは!?

時を越えて、奪い合った!● シリーズ②地形で読み解く古代史重要地点

 奈良盆地から二手に分かれて進軍してくる徳川勢を、大阪側に出てくる狭い道で、挟撃してしまおうという策だった。

 しかし濃霧というアクシデントで、行軍が遅れ、タイミングを逸し、結局小松山(大阪府柏原市)をめぐる攻防戦となってしまった。

 ここで、大阪側は敗れ、後藤又兵衛が討ち死にしてしまったのだ。

 それにしても、なぜ石川周辺で何度も争いが起きていたのだろう。

 物部守屋の場合、大軍と戦うために、土地勘のある地元で待ち受けたと捉えることが可能だ。

 しかし、それだけだろうか。小松山の戦いが、大きなヒントになっていると思う。後藤又兵衛らは、大軍を迎え撃つのだから、「平野部に出る前に討つ」という手に出たのだ。 要は、奈良県と大阪府の県境の峠と狭い道を制することが、大目的だったのだ。

 じつは、『日本書紀』神武東征説話の中に、興味深い記事が残る。

 瀬戸内側からヤマト入りを目指した神武一行だったが、徒歩で竜田(たつた) (奈良県生駒郡斑鳩(いかるが)町龍田)に向かおうとしたが、道が狭く、人が並んで歩くこともできなかった。

 そこで道を変え、生駒山を越えていくことにしたとある。

 やはり、大阪方面からもっとも一般的な奈良入りのルートにしても、狭くて進軍には向いていなかったのだ。

 大軍を迎え討つには、この「境目」が肝心要だった。

 つまり、どちらが先に、要衝を奪い取ることができるかが、勝敗の行方を左右したのだ。

小松山古戦場跡(大阪府柏原市)

 壬申の乱の時、大海人皇子勢がいち早く県境付近をおさえ、その上で大阪に攻め入ることができたのは、「境目の争奪戦」を制したからだ。

 だからこそ、境目を奪われた側は、石川を次の防御線にして戦わざるを得なかったわけである。

 奈良盆地は西側から攻めてくる敵に強かったが、西側の山並みと隘路(あいろ) を手に入れれば、東からやってくる敵にも対処できたのだ。ただし、地勢上、奈良盆地側に一度陣取れば、やはり中々西側の勢力は奈良に入ることはできなかったのだろう。

 石川付近で戦闘がくり返されたのは、奈良盆地の西側の山並みを背にして陣取る敵とは戦いたくないという心理が働いたからだろう。

地形で読み解く古代史』より

明日は「古代から『真田丸』の時代まで幾度も戦場となった要所とは!?」です。

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関 裕二

せき ゆうじ

 



1959年生まれ。歴史作家。仏教美術に魅了され、奈良に通いつめたことをきっかけに、日本古代史を研究。以後古代をテーマに意欲的な執筆活動を続けている。著書に『古代史謎解き紀行』シリーズ(新潮文庫)、『なぜ日本と朝鮮半島は仲が悪いのか』(PHP研究所)、『東大寺の暗号』(講談社+α文庫)、『新史論/書き替えられた古代史』 シリーズ(小学館新書)、 『天皇諡号が語る 古代史の真相』(祥伝社新書)、『台与の正体: 邪馬台国・卑弥呼の後継女王』『アメノヒボコ、謎の真相』(いずれも、河出書房新社)、異端の古代史シリーズ『古代神道と神社 天皇家の謎』『卑弥呼 封印された女王の鏡』『聖徳太子は誰に殺された』『捏造された神話 藤原氏の陰謀』『もうひとつの日本史 闇の修験道』『持統天皇 血塗られた皇祖神』『蘇我氏の正義 真説・大化の改新』(いずれも小社刊)など多数。新刊『神社が語る関東古代氏族』(祥伝社新書)



 


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