大谷翔平が監督室で返した「無言」の覚悟。日ハム・栗山監督が批判をバネに貫いた「二刀流」
『「最高のチーム」の作り方』を上梓した栗山英樹監督の哲学を読む
■「二刀流はチームの優勝のためでなければ意味がない」
そして、チームが日本一という結果を残したことで、大谷翔平の二刀流もようやくその真価を示すことができた。
「二刀流はチームの優勝のためでなければ意味がない」
常々、彼に言い続けてきたことだ。
二刀流の使命はそれだけにとどまらない。
野球ってこんなにすごいんだ、こんなに面白いんだと、たくさんの人たちに感じてもらうため。つまりそれは「野球のロマン」を体現することであり、そうでなければあんなに大変な思いをしてまで取り組む価値はない。
思えば、大谷翔平の二刀流挑戦にはいつも批判がつきまとってきた。前例がないのだから、無理もない。しかし、どんなに批判されようとも、僕も大谷もそれから逃げようと思ったことは一度たりともない。批判があるということは、真剣に見てくれているということの証しだ。批判はバネになる。
『北の国から』などの作品で有名な脚本家の倉本聰さんが、こんなことをおっしゃっていた。
「批評家は、いつも対岸を歩いている」
批評家は、いつも川の流れの向こう側を歩いている。こちら側に立つ、創る側の我々とは、決して重なることも交わることもない。批評は誰にでもできるが、どこまでいっても彼らは批評するだけだ。
また、北海道に住む脳神経外科の名医・上山(かみやま)博(ひろ)康(やす)さんは、あるテレビ番組で生涯の師にもらった言葉をこう紹介していた。
「批評家になるな。いつも批判される側にいろ」
医療の本質は、患者にとって何が必要かを考え、患者の求めるものを与えること。それを追求するためには、つねに現場に立ち続け、アクティブに仕事に取り組まなければならない。それが、いつも批判される側にいるということだ。
尊敬するおふたりの言葉は、困難な二刀流への挑戦をいつも心の中で支えてくれた。