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ヤマト建国の謎、物部氏はどこからやってきた?

黎明期のヤマト建国を考察する ●シリーズ⑤地形で読み解く古代史重要地点

キーになる物部氏

 筆者は、ニギハヤヒは 吉備(きび)(岡山県と広島県東部。のちの備前、備後)出身とみる。

 物部氏の本拠地(大阪府八尾市)周辺から、三世紀の吉備系の土器が出土していることが大きい。

▲吉備津神社(岡山市北区)

 もうひとつ、物部氏が西側からやってきたと思うのは、古代の大阪を支配し、さらに奈良盆地の西側一帯をおさえているからだ。大阪府枚方市には磐いわ船ふね神社が鎮座し、ニギハヤヒが乗ってきた天磐船が巨大な磐座(いわくら)となって祀られている。

 このなだらかな峠を越えれば、奈良盆地だ。その先には、矢田坐久志玉比古(やたにいますくしたまひこ)神社(大和郡山市矢田町)が鎮座し、ニギハヤヒが天磐船から矢を三本射て、その一本がこの地に墜ちたと伝わる。

 蘇我系の聖徳太子が建立した法隆寺の一帯(斑鳩(いかるが))も、元々は物部系豪族の土地だ。

 奈良盆地の西側の入口をことごとく物部氏がおさえているように見える。

 『日本書紀』の神武東征の場面で、神武天皇もニギハヤヒも「天神 (あまつかみ) の子」と記され、だからニギハヤヒは神武天皇に王権を禅譲したと記されるが、これにはカラクリがある。

 ヤマトの王は祭司王であり、かたや物部氏は、もっとも重要なヤマト周辺の拠点を、しっかりおさえている。ニギハヤヒは名を捨て実をとったのだった。

 そして、天皇は物部氏の祭祀形態を継承したのではないか、とする説があり(吉野裕子『大嘗祭』弘文堂)、事実他の豪族にはけっして見られない形で、物部氏は王家の祭祀に深くかかわっている。

 物部氏の呪文「 一二三四五六七八九十布瑠部由良由良止布瑠部(ひふみよいむなやことふるべゆらゆらとふるべ)」も、天皇家は受け容れている。

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関 裕二

せき ゆうじ

 



1959年生まれ。歴史作家。仏教美術に魅了され、奈良に通いつめたことをきっかけに、日本古代史を研究。以後古代をテーマに意欲的な執筆活動を続けている。著書に『古代史謎解き紀行』シリーズ(新潮文庫)、『なぜ日本と朝鮮半島は仲が悪いのか』(PHP研究所)、『東大寺の暗号』(講談社+α文庫)、『新史論/書き替えられた古代史』 シリーズ(小学館新書)、 『天皇諡号が語る 古代史の真相』(祥伝社新書)、『台与の正体: 邪馬台国・卑弥呼の後継女王』『アメノヒボコ、謎の真相』(いずれも、河出書房新社)、異端の古代史シリーズ『古代神道と神社 天皇家の謎』『卑弥呼 封印された女王の鏡』『聖徳太子は誰に殺された』『捏造された神話 藤原氏の陰謀』『もうひとつの日本史 闇の修験道』『持統天皇 血塗られた皇祖神』『蘇我氏の正義 真説・大化の改新』(いずれも小社刊)など多数。新刊『神社が語る関東古代氏族』(祥伝社新書)



 


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