日本史の実行犯 ~あの方を斬ったの…それがしです~ 吉良上野介を突き伏せた孟子の子孫
日本史の実行犯 ~あの方を斬ったの…それがしです~【武林唯七】
まるで女のような若武者
唯七はその戦闘の中で、一人の若武者と対峙しました。
「女…ではないな」
白い小袖を着て、紫の手拭いを鉢巻きにしたその若武者はまるで女のようだったと言います。唯七はこの若武者を容易に斬り伏せました。若武者は額と右肩に傷を負い、その場に突っ伏し気絶してしまいました。上野介の首のみが欲しい唯七は、この若武者に止めを刺すことはしませんでした。
実はこの若武者は、名を「吉良義周(よしちか)」と言い、吉良上野介の養子となっていた人物でした。重傷を負ったものの、一命を取り止めた義周でしたが討入りの後に対応が「不届き」であったと改易を言い渡されています。
さて、さらに吉良邸の奥を目指した唯七の耳に入ってきたのは、味方の勝鬨でした。
「吉良上野介、討ち取ったりー!」
唯七と同じく表門組に属していた近松勘六(かんろく)が吉良らしき人物を討ち取ったようでした。しかし、これはすぐに人違いであることが判明します。その理由ははっきりとわかりませんが、吉良の額と背中には、江戸城の松の大廊下で浅野の刀による傷が残っているはずなので、それと適合させたのかもしれません。浪士たちは吉良の顔を見たことがありませんので、人違いも仕方なかったと思われます。
姿なき上野介
浪士たちは吉良の寝室にたどり着きますが、そこにも吉良の姿はありませんでした。しかし、寝具はまだ温かく、吉良がまだ近くにいるということは明らかでした。
唯七ら浪士たちは障子を打ち破り、縁の板まで剥がして屋敷内を隈なく探しましたが、吉良は見つかりません。この場面に窮した大石は皆に向かってこう言いました。
「上野介を討ち漏らしたのでは詮なきことである。いざ一緒に自害仕ろう。さりながら、死ぬことは易きことであるから、今一度探してみよ」
そして、浪士たちが捜索すること3度目にして、ある小部屋に行き当たりました。その小部屋は、吉良の寝所に近い台所の中に三尺(約90cm)の戸が建てられた炭や茶道具などの物置でした。内部が暗かったため、槍の穂先にロウソクを立てて様子を伺い、内部に4~5本の矢を射かけました。
すると、中から皿や鉢、炭などを投げて抵抗してくる者がいます。浪士たちはさらに矢を射かけると、とうとう中から2人の武士が飛び出して立ち向かってきます。1人を堀部安兵衛が一刀で斬り捨て、もう1人を矢田五郎右衛門が何なく討ち取りました。さらに中を覗いてみると、そこにはもう一人、白い小袖の寝間着に茶の縞の上着を着た老人がいました。
唯七は大身槍を構え、強く突き出しました。
すると、その槍は老人を捉え、一撃にして相手を仕留めました。
「もしや、これが上野介かもしれぬ…」