安倍でもわかる「民主主義」と
「議会主義」のお話。
そうだったのか!政治の見方ががらりと変わる!
作家・哲学者の適菜収が「安倍政権の無能と欺瞞」を討つ批判の毒矢
安倍でもわかる「民主主義」と「議会主義」のお話。
現在、わが国で「民主主義」と呼ばれているものは、正確には「議会主義」です。
議会主義(間接民主主義)と民主主義は別物です。
選択原理が働く代議制は貴族政に分類されます。要するに、単なる多数決原理ではなくて知性を介在させるわけですね。
議会では、熟議、合意形成、利害調整が重視されなければならない。
「民主主義は小国では可能だが、人口の多い大国には向いていない」「全員参加の政治は不可能だから、選挙による代議制を選択するしかない」という説明がよくあります。
でも、それは違います。
インターネットが進化した現在では、「全員参加の政治」は技術的に可能かもしれない。それをやらないのは、民主主義が根本的に間違っているからです。
民主主義の起源は、古代ギリシャの一部(アテネなど)で行われていた民主政です。そこでは民衆に市民権が与えられ、民会と呼ばれる議場に有権者が直接参加しました。また、民衆裁判所が設置され、くじで選出された陪審員が裁判を行った。
この民主政を全否定したのが当時の賢人でした。
ソクラテス(紀元前四六九頃~紀元前三九九年)もプラトン(紀元前四二七~紀元前三四七年)も、政治は賢者が行うべきだと説きました。
民衆支配が始まれば、世論を動かすデマゴーグが活躍します。
アテネの衆愚政治化は必然でした。
一方、「民主主義」が人類の歴史に登場するのは一八世紀のことです。
紀元前に発生した古代ギリシャの民主政が単なる政治制度だったのに対し、民主主義はキリスト教から派生したイデオロギーです。ジャン=ジャック・ルソー(一七一二~七八年)らに代表される近代啓蒙思想家は、自然権(人間が生まれつき持つ普遍的権利)なる概念をもとに人民主権を唱えます。自由、平等、人権といった諸価値は次々と神格化されていく。
それがフランス革命などの蛮行として現れたのは周知のとおりです。
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