人生は計画通り進むよりも、白紙になる方がおもしろい。
芥川賞作家・柳美里に聞く「人生設計」
計画通りの人生なんてつまらない
きちんと人生設計をしなければいけない、と自分や我が子の人生を図面のように考える人は多いと思います。
たとえば、家を持つこと。
わたしの場合は、自分の家を持ったことに後悔の念がありました。
33歳の時(息子が1歳の時)に鎌倉に家を建てたのは、これからは定住をするのだという決意に基づいたものでした。
わたしは常々、自分は一所に定住することに向いていない、と思っていました。うちは「流れ者」の一族なのです。母方の曽祖父は、「流れ者」の顔相占い師でした。土葬が当たり前の朝鮮で、火葬して骨を磨り潰して川に流せ、という遺言を残した人です。
祖父母は祖国を捨てて日本にやって来ました。「流れ者」同士である父と母は結婚して4人の子を儲けましたが、何か良くないことが起きると、住んでいる場所のせいにして引っ越しをしました。
喧嘩が絶えなかった両親ですが、引っ越しの時だけはやけに楽しそうで、冗談を言い合ったり鼻歌をうたったりしながら華やいだ雰囲気で荷造りをしていました。
ふたりはわたしが生まれてから8回転居をしています。
そして、わたしも16歳で家を飛び出してから8回転居をしています。
親になるまでは、自宅はほとんど物置状態で、戯曲や小説などの長いものを書く時は必ず旅支度を整えて家を出る。当時はワープロで書いていたのですが、ワープロとボストンバッグとリュックサックと、まるで家出のような大荷物でした。昔は行き先を決めず足が向くままに旅をしていたので、荷物を宅配便で送ることができなかったんです。
虚構の中で新しい人間関係を築くためには、現実の中の人間関係を遮断することが必要で、山奥の湯治場が最適でした。いつも、東由多加は一緒でした。
なるべく安い旅館(朝夕2食付きで8000円以下)を探し、ふたりで長期滞在をする。
2、3ヶ月の滞在は短い方で、一番長い時で8ヶ月でした。同じ旅館に長期滞在する場合は、値引き交渉をしました。掃除は自分たちでします、食事はまかない料理でけっこうです。そう言うと、ふたりで1泊1万円くらいで宿泊できました。
10代20代の頃はずっと旅暮らしでした。
地に足を着けたい、なんてこれっぽっちも思わなかった。
そんなわたしが、子どもを持った。
子どもは幼稚園や小・中・高校に通わなければならない。定住せざるを得ない。それで、30年の住宅ローンを組んで鎌倉に家を建てたわけです。
渋谷の賃貸マンションから鎌倉の新居に引っ越した最初の夜の出来事です。
わたしは、1歳の息子を2階の寝室で寝かしつけ、中2階の仕事場で小説を書いていました。家中に響くパソコンのキーボードを叩く音を聞いた時、失敗した、という思いが背中から這い上がって来るのを感じました。
「何歳で結婚し、何歳で子どもを産み、何歳で家を建て、何歳でローンを完済する」と計画を立て、貯蓄し、それに向かって努力するのが堅実で立派な生き方なのかもしれません。
でも実際は、この先何が起こるかわからないわけです。
東日本大震災で、東北沿岸部の人々は、地震、津波で家族や家財を失い、原発事故で住み慣れた町を追われました。
厄災だけではありません。
自分の全てを持って行かれるような恋愛をするかもしれないし、これまでの自分のキャリアなど捨ててもいいと思えるような仕事を見つけるかもしれない。
恋愛にしても、仕事にしても、旅行にしても、読書や映画や演劇にしても、自分に他者が流れ込んでくることによって、自分の領域が突き崩され、「自」と「他」が混ざり合い、化学変化を起こす――、それに勝る経験はないと思うのです。
わたしは計画を立てて、それが計画通りに進むことよりも、当初の計画が崩れて白紙になるような出来事や出会いを待ち望んでいます。
だったら、最初から計画など立てない方がいいかな、とも思います。