なぜFIFAと決別したのか。バロンドールとメディアの関係を読む |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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なぜFIFAと決別したのか。バロンドールとメディアの関係を読む

バロンドールはサッカーとメディアの歴史とともにあった――日本人で唯一のバロンドール投票権を持つ田村修一氏が迫る「バロンドールの歴史」。

FIFAが主催する男子最優秀選手賞が発表され、昨年末バロンドールを獲得したC・ロナウドが、ダブル受賞を果たした。
サッカーファンに馴染みのあるこのふたつの賞。
前回までは「FIFAバロンドール」として統合されていたにもかかわらず、なぜ(ふたたび)分かれることになったのか。答えは、サッカー選手にとってもっとも栄誉ある賞となった「バロンドール」が歩んできた歴史を紐解かなければ見えてこない。
日本人で唯一投票権を持つ、田村修一氏が書くバロンドールとメディアの歴史。

 

 2016年のバロンドールは、クリスチャーノ・ロナウド(レアル・マドリード)が4度目の受賞をはたした。投票した世界各国193人の記者のうち、173人が1位に推す圧勝ぶりで745ポイントを獲得し、316ポイントで2位のリオネル・メッシ(バルセロナ)に大差をつけての堂々たる勝利だった(投票は1~3位を連記し、1位に5ポイント、2位に3ポイント、3位に1ポイントが与えられ、獲得したポイントが最も多いものがその年の受賞者となる)。

 ちなみにバロンドールの投票権を持つ私は、ロナウドを1位にしなかった20人のうちのひとりで、1位ルイス・スアレス(バルセロナ)、2位ロナウド、3位アントワーヌ・グリーズマン(アトレチコ・マドリード)の順で選んだ。コレクティブなパフォーマンスでロナウドは申し分なかったが、個のパフォーマンスでは最良の年ではなかった。両方のバランスを考えたときに、ロナウドよりもスアレスではないかと思ったのがその理由である。とはいえロナウドの受賞に異を唱えるつもりはない(スペインのサッカー専門誌MARCAのウェッブサイトでは、私が「ロナウドはバロンドールに値しない」とあたかもコメントしたような、扇情的なヘッドラインがつけられているが)。

 これでロナウドは、通算でもメッシの5回に次ぐ単独史上第2位となり、この9年間はふたりが賞を独占している。過去のどの時代にもなかったことで、ヨハン・クライフとフランツ・ベッケンバウアーが並び立った1970年代でも、ふたり合わせて受賞は5回にすぎない。それだけ今日は、ロナウドとメッシという突出したふたりが世界をリードする特異な時代であるといえる。

 去年と今年の最大の違いは、FIFAとの6年間の提携を終えてバロンドールがフランス・フットボール誌主催の単独表彰に戻ったことだ。バロンドールとFIFA最優秀選手。ふたつの賞がひとつになることで、世界で唯一無二の権威ある個人表彰になったものが、どうして袂を分かってしまったのか。理由が公表されていない以上、今は推測する以外にないが、大きな理由のひとつと思われるのが、ジャーナリストの投票結果と各国代表監督・キャプテンの投票結果がときに異なることである。

 2010年はジャーナリストがウェズレイ・スナイデル(当時インテル・ミラノ)を、2013年はフランク・リベリー(バイエルン・ミュンヘン)を1位にしたのに対し、監督とキャプテンはいずれもメッシだった。ジャーナリストは比率で全体の3分の1、監督とキャプテンが3分の2であるから、多数決ではジャーナリストが負ける。どちらの年もメッシが選ばれたが、ジャーナリストの側には、個人のパフォーマンスだけでなくコレクティブなパフォーマンス(チームへの貢献度=タイトル獲得)や人間性といったバロンドールの伝統的な選考基準を考慮しながら、客観的に選んでいるのは自分たちだという自負があった。

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