「儒教」は、宗教? 宗教ではない?
中国人の「宗教観」とは?
「中国」がこんなにも存在感を増しているのに、私たち日本人は中国人のことをあまり知りません……。
中国人は何を信じてきたのか? あの国を動かしている根本原理とは何か?
なぜ日本人の「常識」は彼らに通じないのか?
「第23回山本七平賞」作家・石平先生が、「拝金主義」に毒された現代中国人の“心の闇”を解き明します―。
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「世界三大宗教」とはご存知の通り、「キリスト教」「イスラム教」「仏教」の3つを指す。全世界に、キリスト教は20億人、イスラム教は13億人、仏教は3億6000万人の信者がいるとされている。
中国における三大宗教(「三(さん)教(ぎょう)」)とは、「儒教」「仏教」「道教」のことである。
「儒教」は、孔子(こうし)が体系化した思想で、周の時代の「礼」を理想としている。「仁・義・礼・智・信」という5つの徳性(五常)を磨けば、五倫(君臣の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、朋友の信)が保てると説き、この「五倫五常」が儒教の教えの基本となっている。
キリスト教やイスラム教には神が、仏教には仏という絶対的な存在が君臨しているが、儒教にはそれに値するような絶対的な存在はいない(必ずしも、仏は絶対的な存在とは言えないが)。
儒教の創設者である孔子は、「鬼神語らず」という言葉にもあるように、生涯に渡って神も、鬼も語ることはなかった。
また、儒教は死後の世界にもまったく関心がない。儒教には来世という概念がなく、人間は死んだらそれまで。弟子から「人間は死んだらどうなるのか?」と聞かれた孔子は、「生きることさえよくわからないのに、どうして死がわかるというのか」と答えたという。仏陀も死後の世界を語らなかったが、孔子とはそのニュアンスが微妙に違うように思う。
要するに、儒教にとって死や死後のことはどうでもよく、「現世をどう生きるか」が問題なのである。
「儒教は宗教ではない」とよく言われる所以(ゆえん)がここにある。儒教は宗教としての要素があまりにも欠けているのだ。
<『中国人はなぜ「お金」しか信じないのか』(石平/著)より抜粋>