スパイが暗躍した、「ゾルゲ事件」の衝撃
日米開戦の謎 【2/3】
動画製作者・KAZUYAさんのベストセラー『日本人の知っておくべき「戦争」の話』から、「日米開戦の謎」を3回に渡って検証してみましょう。
連載第2回のテーマは、『ゾルゲ事件』です。
なぜ大戦前の日本は、明後日の方向にばかり国策を持っていくのか? 不思議なことですが、裏にはスパイの暗躍というのは間違いなくあったでしょう。
当時はいたるところにコミンテルンのスパイや共産主義者が紛れ込んでいました。近衛文麿のブレーンとして政界や言論間に多大な影響を与え、支那事変の戦線拡大を煽りまくり、日本を泥沼へ誘導していったのです。
支那事変が泥沼化していくと、今度は東亜新秩序とか大東亜共栄圏などのスローガンを打ち立てて米英との対立を煽っていきます。このように煽りつつ、政権中央で国策に関与していたと考えると恐ろしいことです。国粋主義的なことを言って軍部も少しずつ侵食し、言論によって日本の方向を歪めようと活動していたのです。
尾崎秀実がリヒャルト・ゾルゲを筆頭とするソ連のスパイ組織の構成員であることが発覚したのが「ゾルゲ事件」です。日米開戦の直前、1941年(昭和16)9月から4月にかけて構成員が逮捕されていきます。
ゾルゲはソビエト連邦アゼルバイジャンで生まれ、のちにベルリンに移住しています。上海でスパイ活動を開始し、のちに日本でのスパイ活動に移行していくのですが、ランクフルター・タイトゥング(新聞)の東京特派員かつ「ナチス党員」としての滞在です。表面上ドイツ人なのですが、実はソ連のスパイという……。
ゾルゲは上海時代に尾崎秀実と知り合っています。近衛文麿のブレーンだった尾崎を引き入れ、日本政府についての重要な情報を入手していくことになります。筒抜けになった重要情報はソ連似打電されていました。
ゾルゲと尾崎は逮捕後、裁判が行われ死刑になります。他にも数百名に事情聴取をし、元老西園寺公望の孫の西園寺公一や犬養毅の三男も取り調べを受け、西園寺は懲役1年6ヶ月(執行猶予2年)、犬飼は無罪となりました。
近衛文麿はこのような共産主義者を近くにおいて政策決定を行っていました。戦中の1943年(昭和18)4月に三田村武夫氏が近衛文麿に戦局や政局について懇談した時、次のように述べたと言います。
「『この戦争は必ず敗ける。そして敗戦の次に来るものは共産主義革命だ。日本をこんな状態に追ひ込んできた公爵の責任は重大だ!」と言ったところ、彼はめづらしくしみじみとした調子で、第一次、第二次近衛内閣当時のことを回想して、『なにもかも自分の考へてゐたことと逆な結果になつてしまった。ことここに到って静かに考へてみると、何者か眼に見えない力にあやつられてゐたやうな気がするー』と述懐したことがある」
(三田村武夫 大東亜戦争とスターリンの謀略より)
近衛文麿自身がスパイ説というのもありますが、不明です。ゾルゲ事件以降は共産主義勢力に対する危機感を天皇に上奏していたります。謎の多い人物ですが、日本を破滅のレールに乗せた首相として覚えておく必要があるでしょう。
ゾルゲは処刑の際、最後の言葉として「国際共産主義万歳!」と叫んだと言います。尾崎にしてもそうですが、革命のためなら自分の国すら売ってしまうのが共産主義者の恐ろしいところです。
共産主義者関連でいえば、アメリカ政府にも相当浸透しています。ヴェノナ文書というものがあります。これはワシントンのソ連大使館からモスクワに送った電報を解読したもので、アメリカは戦後もずっとこの暗号の解読を進めていました。近年そうしたヴェノナ文書も出てきて、新しい情報がわかってきたのですが、当時のルーズベルト政権の周りはソ連のスパイや共産主義者だらけでした。政府に少なくとも300人のアメリカ共産党員がいたといいます。<続く>
<『日本人が知っておくべき「戦争」の話』(KAZUYA/著)より抜粋>