「平成」の次は? 新しい元号はどのように決まるのか
天皇の生前譲位問題におけるさまざまな疑問を解決
いまは日本にしかない元号制度
日本の元号(年号)は、「大化」(645年)「大宝」(701年)の昔から、「大正」(1912年)「昭和」(1926年)に至るまで、時の天皇が、公卿(今の閣僚)や枢密顧問の会議に諮られて、最も善い文字を「勅定」されることになっていました。
それが戦後は、GHQから「一世一元」(天皇一代に元号一つ)の年号は「天皇の権威を表すことになる」とみなされ、新皇室典範に「元号」(改元)の規定を盛り込むことができませんでした。そのため、昭和40年代の中ごろから、「元号」の再法制化を求める声が強くなり、同54年(1979)6月12日「元号法」が制定されたのです。
その条文は、次の二項目から成っています。
1 元号は、政令で定める。
2 元号は、皇位の継承があった場合に限り改める。
すなわち、従来は天皇が「勅定」されることになっていましたが、現行憲法のもとでは、「国政に関する権能を有しない」と制約された天皇に直接的な権限がないため、この法律に基いて、政府が「政令」によって定めることになったのです(念のため、その政令を公布するのは、天皇の国事行為です)。
しかし、その元号は、明治以来の「一世一元」(天皇一代に元号一つ)という原則を受け継ぎまして、「皇位の継承があった場合に限り」直ちに新しい元号を定めると、御在位中その元号を使い続ける、ということになったのです。このような元号制度は、かつて中国をはじめ周辺諸国で行われてきましたが、今や日本にしかありません。
「元号」はだれが決めるのか
元号選定の責任者は内閣(総理大臣)でありますが、まずその候補名を考案し提出するのは「考案者」(専門家)であり、それを検討し整理するのは総理府総務長官(のち内閣官房長官)です。
ついでそれを精査し原案を選定するのは三長官(のち内閣官房長官と内閣法制局長官)の会議であり、その原案について協議し決定するのは閣僚会議です。なお、事前に衆参両院の正副議長などに意見を伺うことも考慮されています。
当時の政府は、これに基いて内々に新しい元号の候補名を専門家に委嘱するなど、準備を進め始めたにちがいありません。しかしながら、それは天皇の崩御を前提にした作業ですから、関係者以外、厳格に秘密とされてきました。
そして10年近く経った昭和64年(1989)1月7日、朝6時半ころ昭和天皇(87歳8ヶ月余)が崩御されますと、前述のとおり、深い悲しみのうちに午前
10時半から宮殿において「剣璽承継の儀」が執り行われました。
そこで、政府(竹下登内閣)は、小渕恵三官房長官を中心として、直ちに表むきの改元手続きを進めています。
具体的には、あらかじめ数名の碩学(せきがくに委嘱し、考案し提出されていた新元号の候補名を、官房長官のもとで詳しく検討(特に、従来日本だけでなく中国と周辺諸国でも、元号や諡号として用いられたことがないかどうか、また古来一般に俗用されたことがないかどうか、子細に吟味)したうえで、より良い三案に絞り込む作業を終えていました。
そこで、その三案を、官邸に招集された有識者(学界・言論界などの重鎮)十名に示し、また国会に赴いて衆参両院の正副議長に示して、それぞれから意見を求めたところ、すべて政府の推す第一案に賛成を得ましたので、直ちに、臨時閣議を開き、新元号を「平成」と決定したのです。