何もなかった無名時代。マーリンズ田澤純一「野球を辞める覚悟で渡米した」 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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何もなかった無名時代。マーリンズ田澤純一「野球を辞める覚悟で渡米した」

社会人時代には「クビ」とも言われた――メジャーで活躍する田澤の知られざる覚悟。独占インタビュー後編

■初めて出した150キロ、偶然それが記事になった

――え、クビ?

田澤 2年目の終盤くらいに大久保監督から監督室に呼ばれて……、もうひとりキャッチャーの選手と僕のふたりです。「ふたりは野球で貢献ができないから社業で貢献しなさい」と。

――そんなことがあったんですか。

田澤 監督は「そんなことは言っていない」っておっしゃっていますけど(笑)、実際に呼ばれましたし、ふたりだけ呼ばれてバックネット裏で監督と話をしている雰囲気を見て「あれ、クビって言われているよな」って周りの選手からも言われていましたから。

でもこれがきっかけで、「ここで終わるんだったら自分なりにやりたいことをやってみよう」、と思えて取り組めた。ここでまた偶然なんですけど、そのときピッチャー陣の調子が悪くて、日本選手権の神奈川県予選で1イニングだけ投げさせてもらったんです。そこで初めて150キロが出た。それまで145、6キロは出ていたんですけど、本当にたまたま。それをスポーツ紙の記者の方が見ていてくれて「150キロ、来年の目玉か」というふうに書いてもらった。

 

――それからプロに注目され始めた。

田澤 はい。だからメディアのおかげです(笑)。

――3、4年目で一気に景色が変わったわけですね。

田澤 野球人生が変わりましたね。3年目に1年残るという決断をして、4年目にはチームも都市対抗で優勝もできました。監督からは、「1年残って結果を出してくれたから、あとは好きにしていい」と言われて、アメリカに挑戦することを決めさせてもらった。会社からは「ダメだったら帰ってくればいい」というありがたい言葉もいただきましたし、そういう後押しがあってできた決断だったのかなと思います。

――今シーズンは新天地、マーリンズです。イチロー選手とのプレーも楽しみだと思うのですが。

田澤 まさか、まさかですよね。イチローさんと一緒のチームになれるとは思わなかった。いろいろと学べることがあると思いますし、本当に光栄なことですけど、まずは邪魔にならないようにしたいな、って思います(笑)。

――これまでイチローさんとの接点というのは。

田澤 対戦する機会があれば挨拶をさせてもらう、くらいですね。基本的に上原さんと一緒に挨拶に行っていたので、上原さんがイチローさんとお話されて、上原さんが怒られているのを横で聞いているイメージです(笑)。

――じっくり話すとなれば、初めて。

田澤 そうなりますね。ピッチャーと野手では行動パターンがちょっと違うので、どれだけチャンスがあるかわらかないですが、そうなれば光栄ですね。

――まだ、マーリンズでの役割は分からない。

田澤 はい。キャンプになってからそういう話が出てくると思いますけど、どこであっても自分ができることをしっかりやるだけです。基本的にはチームに貢献できればいいという考え方ですからそこは変わらないですね。

――活躍を楽しみにしています。ありがとうございました。

田澤 がんばります。ありがとうございました。

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田澤 純一

たざわ じゅんいち

マイアミ・マーリンズ

1986年6月6日生まれ。神奈川県横浜市出身。2008年、社会人野球エネオス野球部に所属し、都市対抗野球大会で全試合に登板。4勝をあげて橋戸賞を受賞。この年にメジャーリーグボストン・レッドソックスと3年契約。以降、中継ぎ、クローザーとして8年間で2013年のワールドシリーズ制覇などに貢献、302試合に登板し17勝20敗4セーブ。2017年シーズンからマイアミ・マーリンズに所属する。


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