知る人ぞ知る熱海の人気スポット“海の見える美術館”とは?
「すごい美術館」がリニューアルオープン!
尾形光琳最晩年の作品が、梅の季節に花開く
MOA美術館では毎年梅が咲く時季になると尾形光琳の国宝「紅白梅図屏風」が展示されるのが吉例となっています。二曲一双の屏風で、右隻に紅梅が、左隻に白梅が描かれ、両者の真ん中に水流を置いています。光琳最晩年の作です。
紅梅は若者を、白梅は老人を擬しているといわれます。たしかに、紅梅溌剌幹を反らせているのに対して、白梅は力衰えて長く枝を垂らしているようにも見えます。また紅梅はやや小ぶりで、白梅のほうは全体が描かれていませんが、枝の下りてくる様子から巨木であることが窺われます。この絵はただ梅を描いているというだけではなく、人生の暗喩ともなっているかもしれないわけです。だとすれば、若木に紅を、老木に白を当てているのもうなずけます。
本作には他に類例のない異様な点があります。それは、絵の真ん中に大きな水流が描かれていることです。しかも、梅が写実的に描かれているのに対して、水流はきわめて図案化されています。リアリティとデフォルメを一つの作品のなかでこれほど大胆に組み合わせた絵師は光琳以前にはいません。まるで現代アートのようです。
この川の流れは、もともとは銀色だったと考えられています。水流部分は全体にわたって銀箔が張られており、水流の絵柄部分はドウサという一種のマスキング剤で描かれ、その上から硫黄の粉末を振りかけると、地は硫黄と銀の反応で黒く変色し、ドウサでマスキングしていた絵柄部分は反応が起こらず銀のまま残ります。
そうして銀色の水流を光琳は表現したのだと思われます。背景の金、水流の銀、そして水流の地の黒と、描かれた当時は洒脱でシックな作品であったことが目に浮かびます。
抽象化を施された川を挟んで対峙する若木と老木の二本の梅。水の流れは時の流れという抽象的な観念を表現しているのでしょうか。光琳は本作を描いていた頃、「東北」(とうぼく)という能を舞っていたという記録があります。「東北」は、都へ上ってきた僧が一本の美しい梅の木と出会う物語です。ある夜、僧の夢に平安時代の和泉式部(いずみしきぶ)の霊が時を超えて現れるという筋立てになっています。
水流を描く銀は伝統的に月の光を意味しますから、本作はじつは夜の絵である可能性があります。私は、この絵はただ意匠的に優れているだけではなく、見た目以上に深いものを含んでいると考えています。
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