経済アナリスト・森永卓郎さんは20代をどう生きたか?【2/2】
1月28日に、ステージ4の膵臓(すいぞう)がんで亡くなった経済アナリストの森永卓郎さん。生前、ファッション誌「street jack」(休刊)の企画で、若かりし頃を語っていただいていた。(2016年1月配信記事を再配信)
■やりたいことがわからない、そんな時、運命の出会い
──前回は東京大学に在学中の頃のお話を中心にお聞きしました。今回は就職後からのお話をお聞きしたいと思います。20代は、日本経済研究センター、経済企画庁総合計画局などへ出向をされていたのですね。
「これが運命としか思えないんですけど、"何をやりたいか?"就職してもわからなかったんです。でも日経センター時代に経済予測をやったら、すごく面白くて。だから、好きこそものの…じゃないけど、そうじゃなきゃ続かないってことですかね」
──経済予測の何がピンときたんでしょう。
「新たな発見があるんですよ。当時から格差に興味があって調べてみたら、高度成長期(ʼ55 〜ʼ73 年)には、すべての格差が縮小していた。男女間、地域間、職業間…全部、平等。これが低成長に入るとすべて開いてく。このことを発見して、世の中ってこう動いていくのかと知った時に、経済を予測するのは面白い仕事だな〜と思ったんです」
──結婚をされたのは何歳の時ですか?
「26歳です。今と物価がそれほど変わらない時代に年収300万円なのに所沢に2580万円の一戸建てを買って。経済企画庁時代にバブルが来ると予測したのに誰も信じないから"買ってやる"って思い切ったはいいけど、本格的なバブルはもう少し後だったから、子供が生まれたばかりなのに2〜3年は超貧乏(笑)。でもね、同期の結婚式で払うお金もないから技術系の雑誌で記事を書く内職を始めたことで今それが仕事になっているんだから、人生ってホントわからないものですね〜」
──経歴だけ見ると順風満帆に思えますが、20代はサバイバルされていたんですね。
「とにかく、ローンを引かれると手取り6万円という貧乏生活でしたから、20代はほぼ毎日、午前3時まで働いていましたね」
──では、当時はコレクションの方は…。
「やってましたよ。コーラの空き缶とか、お金のかからないもの。ほかにもトラックドライバーの友達の車に便乗して、地方の古いおもちゃ屋さんの倉庫を巡っては、それを高くで売ったりして。そういう週末の楽しみがあったから、日々の忙しさとのバランスをとってたのかも知れません」
──今の20代もタフな時代を過ごしていますが、何かメッセージはありますか?
「生活の基礎消費を下げることです。私もこの部屋(※平日に寝泊まりする仕事部屋)での食費は週に千円ですし。近所の八百屋とかスーパーで閉店間際に安い食材を買ってきて、どう調理するかは後で考える。で、後は私のコレクションのように何にお金を使うか。自分は何が楽しくて生きてるのかが大切なんです。使うところに使っても、基礎消費さえ少なければ安心ですから!」