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第72回:「白雪姫」

<第72回>

3月×日

【白雪姫】

 

疲れていた。

普段着のまま布団に倒れこんでしまうほどに、疲れていた。

「癒されたい」

そう、切実に、癒されたい。

イルカと泳ぎたい。サボテンを部屋の窓際に置きたい。石垣島に行きたい。マシュマロとか食べたい。「蒸気でホットアイマスク」を使用したい。

手取り18万円残業手当なしのOLのようなことを思う。

ぼんやりと、部屋の本棚に目をやる。あるものが、目にとまる。

ディズニーアニメ「白雪姫」。

本棚の隅に、捨てられるようにして、その「白雪姫」のVHSは置かれていた。

いつ、こんなものを買ったのだろう。訝しみながら、それを手に取り、パッケージの裏側を見ると「10円」の値札シールが貼られていた。ああ、そうだ。かなり前に中古レコード屋だかの店頭在庫処分セールで売られていたところを、戯れで買ったのだった。すっかり忘れていた。「10円」かあ。牛脂みたいな価格だ。

僕はその「白雪姫」に、いま自分の求めている癒しのすべてが詰め込まれていることを予感し、もう何年も使ってないビデオデッキをひっぱりだした。再生ボタンを押す。

なんせ、「白雪姫」である。そこはきっと、可愛いものに溢れた世界。小鳥は楽しげにハミングし、仔鹿は恥ずかしそうにステップを踏み、初孫は今日初めて3歩も歩きました、みたいな世界が広がっているはずだ。ああ、可愛い世界は、きっと僕を癒してくれるはず!

特に期待したいのは、こびとである。

ご存知の通り、「白雪姫」には、こびとが出てくる。それも七人も、だ。

きっと森のこびとたちは実に可愛らしい会話を織りなし、僕を癒してくれるはずだ。

「きょう、ぼくはフクロウのおじさんに、甘い実の落ちている場所を教えてもらったよ」

「ぼくは葉っぱのカヌーで川下りをしたさ」

「シチューおばさんの家がいたずらイタチに荒らされたんだって」

「怖いねえ、イタチには気をつけなくっちゃ」

「チューリップの中で眠っていたら、朝露に濡れて風邪ひいちゃった。へっくしょい」

「クルリピポ」

「ポピプルリ」

可愛い。シチューおばさんって誰なんだ、という若干の疑問は残るが、実に可愛い。ちなみに会話の最後のほうにあったのはこびとたちの鳴き声で、「クルリピポ」は「お大事に」、「ポピプルリ」は「ありがとう」の意味がある。今年、区役所からがん検診のお知らせが届く歳になった自分が、一生懸命考えました。

そんなこびとの可愛いセリフたちに高い癒し効果を期待しながら、「白雪姫」を鑑賞。物語中盤にて、いよいよ待望の七人のこびと登場となった。

思っていたよりも実際のこびとたちは中年男性感が強かったが、それでも、可愛い。お腹が出ているところとか、可愛い。「ハイホー」とか言ってて、可愛い。

七人のこびとは、のっけからケンカをしていた。それを微笑ましく眺める。こびとならではのドタバタとしたケンカが、実に愛らしい。鑑賞しながら、みるみる癒されていく自分を感じる。

ケンカはわりと長丁場で続いた。すると最中に、ひとりのこびとの表情が変わった。ついに堪忍袋の緒が切れたらしい。これは見ものである。怒りが頂点に達した時、一体こびとはどんな言葉を発するのか。ブチ切れた時でさえ、こびとは可愛いセリフを言うのだろうか。「ぷう!」とか「みんな、怒っちゃヤダ!」とか「お母さんに言っちゃうからね!」とか言うのだろうか。それともさすがに切れたときは、マジなトーンになるのだろうか。「ふざけんな」とか「この軽自動車野郎」とか「おれ、お前の彼女と寝たことがある」とか言うのだろうか。期待感と不安感が入り混じりながら、画面を見つめる。

しかし、その時こびとが発したセリフは、我が耳を疑うものだった。

「このイノシシが!」

こんな罵倒言葉、聞いたこともない。

なんだ、この独特な言い回しは。なんだ、この変化球なセリフは。

「このイノシシが」というフレーズの意外性を前にして、僕はうろたえた。

そして、うろたえながらも、確信した。

可愛すぎるだろう、そのセリフ。

「イノシシ」というセレクトが、なんとも可愛らしい。「このブタが」では、相手を傷つけすぎる。「この仔猫ちゃんが」では、もはや褒めの領域である。「このイボイノシシが」では、ちょっと不要なディティールがある。

「このイノシシが」は、なんと完璧なセリフなのだろう。

きちんと相手を罵倒しつつ、森のこびとならではのプリティな言い回しになっているではないか。

このイノシシが」で検索をしてみたが、一件もひっかからなかった。やはり、人間の世界の言葉ではなく、こびと族の言葉なのである。

こびとたちの、予想の斜め上をいく可愛いボキャブラリーに触れ、僕の疲れは完全に吹き飛んだ。10円でここまで癒されるのだから、つくづく安い人間だな、と思う。

 

 

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ワクサカソウヘイ

わくさかそうへい

1983年生まれ。コント作家/コラムニスト。著書に『中学生はコーヒー牛乳でテンション上がる』(情報センター出版局)がある。現在、「テレビブロス」や日本海新聞などで連載中。コントカンパニー「ミラクルパッションズ」では全てのライブの脚本を担当しており、コントの地平を切り開く活動を展開中。

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