「願いを託さない、期待しない」芥川賞作家・柳美里の願望を押しつけない子育て
芥川賞作家・柳美里に聞く「子育て」
子どもに願いを託さない
子どもの幸せを祈らない親はいません。
でも、それは、「子どもにはこうなってほしい」という願望に変質しやすい。気がつくと、「偏差値いくつ以上の高校に進学して、有名大学に入学して、有名企業に入社してほしい」という鋳型に我が子を嵌め込もうとして、両手に全体重を掛けていたという親も多いのではないでしょうか。
わたしは母にそれをやられ続けたのです。
わたしは3歳からピアノ教室に通いました。小学校時代の習い事はピアノだけではなく、クラシックバレエ、そろばん、進学塾にも通いました。
母は自分が習いたかったことをわたしに習わせ、自分が通いたかったお嬢様学校にわたしを入学させるために、自分はキャバレーのホステスとして夜の勤めに出ていました。
夕方小学校から帰ると、母は鏡台で化粧をしながらも鏡越しに呪文のように唱えるのです。
「美里は、横浜共立学園に入りなさい。テニス部に入りなさい。テニスは、皇室の方々もやっている上流階級のスポーツだからね。上流の人と付き合うにはテニスができなくちゃ駄目なのよ。髪型はおかっぱにしなさいね。おかっぱが上品だから」と。
わたしは母の「身代わり」として、中学受験をして横浜共立学園に入学し、テニス部に入り、課外授業でピアノを習い、ずっとおかっぱ頭にしていました。
母の願望を担えるだけ担った結果、中学2年の時に精神が破綻して、全てを投げ出さざるを得なくなったのです。
2009年に出版した小説『オンエア』(講談社)の登場人物は、周囲の期待通りに生きて、恋愛スキャンダルによってニュース番組を降板することになる「女子アナ」が主人公です。
「親には、毎日塾へ行きたいと言っていたけれど、親の期待通りの真面目な女の子に擬態していただけ。テレビの中では、スタッフや視聴者の期待通りの女子アナに擬態していただけ。わたしはいつも期待という草むらに身を隠していた。周囲の期待が、わたしの保護色だった。もう、だれひとり、わたしに期待などしていない。草は一本残らず毟り取られてしまった。わたしは、アスファルトの上に放り捨てられた芋虫みたいなものだ」(『オンエア』)
他人(親)の願望通りに仕立てられていった子どもは、自分の願望を見失ってしまいます。
自分の願望を押しつける親は、我が子の本当の姿(周囲の期待に擬態していないありのままの姿)を見ていない。
子どもは、親に期待され、成果を出せば褒められ、失敗すれば叱られる。
そういう子どもの魂は、大人になっても小さく縮こまっています。自己肯定感が弱く、物事がうまくいかないと、「自分が悪いんだ。自分なんていなくなればいい。消えてしまいたい」という自己嫌悪に苛まれるのです。自分を責めることは得意だけれど、自分を大事にすることは、その方法がわからない――。
わたしは息子の幸せを祈っていますが、「こうなってほしい」というわたしの願いを託すことはしません。
息子には期待しません。
勉強が嫌いで大学に入れなくても、仕事はいくらでもあります。
息子は、山や植物や昆虫が大好きです。たとえば、山小屋で働くという道だってあります。毎日、山を歩けて、高山植物の保護活動もできる。新種の昆虫を発見することもあるかもしれない。
わたしが、子ども時代に好きだった「書くこと」を手放さずに生きているように、息子も好きなものを手放さずにいれば、それが彼の人生の危機を救うと思うのです。