ホロコーストを招いた史上最悪の偽書(フェイク)とは【中川右介】
メディアリテラシーを高めるための必須教養
■史上最悪の偽書
偽書は、偽書と知ったうえで一種のフィクションとして、その内容を面白がって読む分には、罪はない。だが、それが社会全体で信じられて冤罪を生み、大量虐殺につながるとしたら、冗談ではすまされなくなる。
世界史上最悪の事件といっていい、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺を生み出したのが、一冊の偽書だとしたら、それは史上最悪の偽書であろう。
その書こそが、『シオン賢者の議定書』だ。
一八九七年八月二十九日から三十一日にかけて、第一回シオニスト会議なるものが、スイスのバーゼルで開かれた。これ自体は歴史的事実である。シオニスト会議とはユダヤ人の代表の会議で、目的は「パレスチナにユダヤ人のための、国際法によって守られたふるさとを作る」ことだった。
ユダヤ人はパレスチナを追われ、世界中に散らばり、それぞれの国で弾圧されていた。国家を再建するのは民族の悲願だった。これも歴史的事実である。
このシオニスト会議の議事録が『シオン賢者の議定書』と題され、「ユダヤ人が世界征服を企んでいる証拠」として世に出た。これこそが史上最悪の偽書なのだ。
この『議定書』は会話体の二十四の文書によって構成されている。つまり、秘密会議の議事録のような体裁だ。内容は、ようするに「ユダヤ教以外の宗教をこの世からなくしてしまい、非ユダヤ人の国家を弱体化させ、ユダヤ人によって世界を統一しよう」ということだった。
陰謀の具体的な計画が書かれているのではない。どちらかというと、心構えというか、そういうレベルのものだ。「計画遂行に役立つのであれば、暗殺、買収、詐欺、裏切り行為などを、けっして尻込みしてはならない」とか「我々の合言葉は、権力と偽善だ」とか書かれている。
だがそれは「ユダヤ人が世界支配のために書いた」という前提で読むからで、たとえば中国人が書いたという前提で読めば、「中国人は怖い」となるし、戦前の日本陸軍の秘密文書だという前提で読むと、「日本はなんてひどいんだ」となるであろう。
「書かれている内容」そのものよりも、「書いた人びと」が世界支配を企て、そのための秘密指令文書であるという、文書全体の枠組みに問題があるのだ。