日本ラグビー界の至宝・田中史朗選手が引退を表明 身長166センチの日本代表はどうやって「小ささ」と向き合ったか? |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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日本ラグビー界の至宝・田中史朗選手が引退を表明 身長166センチの日本代表はどうやって「小ささ」と向き合ったか?

日本ラグビー界に偉大な軌跡を残した田中史朗選手の思い

 

■小さいぼくは狙われる。それを逆手に!

 

 

 

 あとは、とにかく頭を使った。めちゃくちゃ考えました。

 ぼくは試合で、「小さい田中を潰そう」と狙われることが多いのですが、それを逆手にとろうと。アタック(攻撃)で、相手を限界までひきつけて、タックルを受けながら空いているスペースにパスして、他の選手を抜けさせる。自分が起点になって味方をいかすプレーを意識しています。他に考えたのは、球捌きのときの“出すフリ”作戦です。ボールを触って球出しをするフリをして、止める。そうすると、我慢しきれずに飛び出してきた相手からオフサイドをもらえる。とくに、プレッシャーがきつかった日本代表、スーパーラグビーではよく使いましたね。いまでこそ、日本の9番は結構このプレーをしていますが、ぼくがやり始めたときは、他にやっている選手はいなかった。自分の頭で考えたんです。

 ディフェンスでも、考えたプレーがありました。ここでもぼくはよく狙われます。でも、ボールを片手で持って、まっすぐ当たりにきたり、明らかに気を抜いてくる。そのボールの扱いが雑になったところを狙って、ボールをとってしまう。相手は「あれっ」という感覚でしょう。このプレーは何回も成功しましたが、とくに印象深いのが2006の年大学選手権準々決勝・法政大学戦です。一番最後の時間帯で相手の8番が当たりにきたところ、ふっとボールを奪えたんです。そのボールをつないで、勝利を決定づけるトライがうまれました。

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田中 史朗

たなか ふみあき

ラグビー日本代表

1985年1月3日生まれ、京都府出身。166センチ72キロ。トップリーグのパナソニック(元三洋電機)ワイルドナイツ、スーパーラグビーのハイランダーズに所属する、日本代表スクラムハーフ。上鳥羽小学校4年時にラグビーと出会い、洛南中学校で本格的にラグビーを始める。当時のポジションはスタンドオフ。名門・伏見工業高校でスクラムハーフに転向し、2年時の全国大会京都府予選戦決勝で敗れたのを機に、スーパー12(現スーパーラグビー)の映像を見ながら研鑽を重ねるようになる。3年時は花園ベスト4となり、高校日本代表にも選出。進学した京都産業大学ではU-19日本代表に2年連続で選ばれ、ニュージーランド留学も経てさらに成長。4年時の全国大学選手権ではベスト4入りに貢献する。トップリーグ・三洋電機の1年目にはベストフィフティーンと新人賞をダブル受賞し、以後9シーズンもの間チームに大きく貢献中。2013年2月、ハイランダーズの開幕戦にリザーブで出場し、日本人初のスーパーラグビープレーヤーに。3年目の2015年シーズンにはハイランダーズのスーパーラグビー初優勝に大いに貢献した。2014年11月にはバーバリアンズに日本人選手として3人目の選出。日本代表には2008年に初選出され、2011年、2015年のラグビーワールドカップに2大会連続で出場。2015年大会は全4試合に先発出場し、歴史的勝利を挙げた南アフリカ戦ではマン・オブ・ザ・マッチに選ばれるなど大活躍。日本ラグビーー界のレジェンド。


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