角栄は、「天才」なんかじゃなかった!
2月25日、永田町のナマズこと平野貞夫の『角栄 凄みと弱さの実像』が発売!
角栄は、「天才なんかじゃなかった!」
角栄は、日本人民衆の「努力」の象徴であり、戦後、私たちそのもの姿だった
では、なぜ日本人は角栄を「まつりあげ」寄ってたかって「おとしめた」のか
2月25日、新たなる「人間・角栄」論の出発点となる書籍
『角栄 凄みと弱さの実像』が書店で発売される。
角栄本ブームに沸いた昨年、角栄「天才」論や、「おい、メシ食ったか」角さんなど数々の「角栄伝説」が「読者の心」をつかんだ。「戦後日本のシンボル=角栄」という図式が角栄の「伝説」を上書きしていくのだろう。
しかし、そんな角栄像に「ちょっと待った!」と物申す男が現れた!
宮澤喜一元首相から「永田町のナマズ」と呼ばれ、「小沢一郎の知恵袋」として国会で活躍、元参議院議員の平野貞夫氏である。
平野氏は、1965(昭和40年)、自民党幹事長に初めて就任した角栄と当時、衆議院運営委員会の事務局(官僚)に勤務していた時に知り合い、角栄とは「国会運営」でやりとりした。以来、《仕事上》での付き合いは続いた。1983(昭和58)年のロッキード一審判決後に、角栄の《再起》のための1万ページにわたる「国会発言録」を編集。あの角栄が、泣きながら平野の手を握りしめた。
角栄を《体温と涙》で知悉する平野氏は、角栄の「天才」伝説に警鐘を鳴らす。
「民主政治に天才を求めるのは、危険だ」という点だけでなく、「あの角栄を、そんな、“ちっぽけな”評価で言い表せるわけがない」という思いがあるからだ。平野氏「角さんは《努力》の人です。天才だと持ち上げられのは角さんの本意ではないでしょう」とした上で、こう続けた。
「角さんの、政治理念は《人間復権》にあるんです。『日本列島改造論』とは、その理念に貫かれた「政策」なんです。ここが、角栄の《核》なんです。角さんの豪快な伝説を戦後民主主義の歴史に、しっかり位置付けることが必要なんです。むしろ、豪快さよりは繊細で、政治家として非情になれなかった。つまり、優しすぎたんです。角さんの《弱さ》を知れば、その《凄み》が本当にわかると思います」
平野氏は、《人間復権》を唱えた角栄の政治を「戦争/カネ/女性」をタテ糸に、「戦後憲法と裏日本」をヨコ糸にして、新たな《人間・角栄》論を著した。
「本当の角さんの話をしなければいけない時が来たのだと思います」
角栄を知る著者の「警醒の書」が4日後に書店で発売される!
角栄の実像、エピソードをこれからBTで紹介していきます。
【目次】
第1章 敗戦と憲法と「土方」デモクラシー———《裏日本》で生まれた男の若き血の叫び
第2章 生まれた土地で不幸になるのはおかしい———ヒト・モノ・カネの流れを変えよ
第3章 愛なのか、宿縁なのか———角栄が《等しく》愛した女たち
第4章 殴打の痛み———陸軍二等兵の平和外交論
第5章 なぜ総理大臣になりたかったのか———角栄《天下取り》の組織論
第6章 金権———なぜ角栄だけが裁かれるのか
第7章 民衆の心———日本人はなぜ角栄が好きなのか
第8章 土に還った日———死して、《地霊》となり、よみがえる角栄