『三島由紀夫vs東大全共闘』の茶番に熱狂した人たちへ
日本は頭が空っぽな国
新型コロナウイルスは総理大臣に忖度しない。そして現在の日本が三流国家になってしまったという事実を誰の目にも明らかにしてしまった。政府の対応は後手後手で、海外メディアからも叩かれる始末。支持率も急降下中。周辺の熱烈な応援団も泥船から逃げ出した。そこから見えて来たのは「今だけ」「カネだけ」「自分だけ」といった思考停止した連中の利権構造だった。安倍政権の危険性を当初の段階から鋭く指摘してきた作家適菜収氏が新刊『国賊論〜安倍晋三と仲間たち』で、その背景をすべて暴く‼️
■新潮社カメラマンが映し出した「ショー」としての本質
先日、ドキュメンタリー映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』が公開された。
1969年5月13日、作家の三島由紀夫と東大全共闘の学生が開いた討論会の様子を当時の関係者、現代の文学者、ジャーナリストなどの証言を織り交ぜながら紹介したもの。
映画のトレーラーを見ると、小説家の平野啓一郎は「社会を変えていくのは言葉なんですよね」、評論家の内田樹は「この1000人を説得しようと思っているんですよね」と熱く語っている。
東大全共闘の芥正彦は「言葉が力があった時代の最後だとは思っている」、瀬戸内寂聴は「あんな目、見た事ない」と述べていた。
この討論会の内容を前から知っていたこともあるが、正直、見られたものではなかった。この映画が宣伝で謳っているような「伝説の大討論」でも「言葉と言葉の殴り合い」でもない。大人と子供が相撲をとっているようなものだ。はっきり言ってくだらない。それと、三島はバカな学生に甘すぎると。無知で無恥な若者は気持ちが悪い。ナルシシズムで表情は歪み、根拠のない自信に満ち溢れている。
映画のトレーラーには三島は「単身乗り込んだ」とあるが、実際には三島はこの討論会の書籍化を新潮社に持ちかけており、録音機を抱えた編集者とカメラマンが同行。翌月、書籍化された。教壇に立つ三島の背後から会場全体を映し出した新潮社のカメラマンによる写真は、この討論会の「ショー」としての本質を見事に表していた。
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