あるか無いかと問われれば、無い――。作家・柳美里が考える、お金との付き合い方
芥川賞作家・柳美里に聞く「仕事とお金」
やりがい、生きがいは買えない
ちょうど移住のタイミングで『貧乏の神様』(双葉社、2015年)という本が出ました。『創』というオピニオン誌で7年間連載していた身辺雑記から「お金」にまつわるエッセイだけを、編集部が抜き出して構成した本なんですが、「芥川賞作家困窮生活記」という副題が付いていたので、自己破産をして南相馬へ都落ちしたんだというような噂を流されてしまった。
ただ、あるか無いかと問われれば、お金はありません。
移住前は、鎌倉から南相馬へ通っていました。臨時災害放送局で人々の話を聴くのは、わたしの「仕事」ですが、ギャラが出る「仕事」ではありません。無報酬なのです。交通費や宿泊費などの必要経費も自腹です。
そのお金と時間を工面するのが大変で、「閉局まで番組を続ける」という約束を守るためには南相馬へ移住するしかないかな、という考えが脳裏を過ぎらなかったといえば、噓になります。
時給、月給、年収――、仕事と報酬を切り離して考える人は少数派かもしれません。
でも、誰だって、「役に立ちたい」という思いはあるはずです。
要請に応じて、できることをする。時と場合によっては、「役に立ちたい」という気持ちが勝って、できないことまで引き受けてしまうこともあるかもしれません。
「役に立つ」ということは、「責任を負う」ということでもあります。
それこそまさに、「仕事」です。
その責任の軽重に応じて、感謝を上乗せして対価を払うというのが、報酬なのだと思います。
責任を負わずには済むが、役に立っていることをあまり実感できない。働く時間を換金しているだけ。交換可能な存在。使い捨て。それは、仕事ではなく労働、苦役です。
お金が大切なのは、言うまでもありません。お金が無ければ、食べていけない。お金は、稼がなければならない。
しかし、お金では「やりがい」や「生きがい」が買えないのも、また事実です。
わたしが言いたいのは、「仕事」を選ぶ時は、いったん「お金」を切り離して考えた方がいい、ということです。
そもそも、お金との関わり方は、その人が何に価値を置くかによって異なってきます。
育った家庭環境によっても左右されます。
わたしは、「お金を貯める」文化がない家庭に育ちました。
パチンコ屋の釘師だった父の月収は80万円。毎日何軒かのパチンコ屋の釘を打ち、フロアマネージャーも兼任していたので、かなりの高給でした。
しかし、父は博打打ちだったのです。
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