宗教学者・山折哲雄氏が作家・柳美里と京都で重ねた対話
最終回 柳美里とは?
作家デビュー30年、芥川賞受賞から20年と節目の年に初の新書『人生にはやらなくていいことがある』を出版した柳美里氏。『人生にはやらなくていいことがある』刊行に際し、「書店に足を運んでもらえるきっかけになれば」と出版社、書店とタッグを組み、親交のある著名人の寄稿、作家生活を振り返ったインタビュー、お勧めの書籍を紹介する『柳美里新聞』なるものを発行。350店舗以上に無料で設置されている。出版関係者や読者からは「改めて柳さんの本を読んでみたいと思った」と声が上がる。柳美里とはどんな人なのか? 宗教学者・山折哲雄氏が『柳美里新聞』に寄稿したエッセイを特別公開。
京都での再会
もう20年ほども前になるだろうか。柳美里さんとは、NHKテレビの仕事で宇治の平等院に行って語り合った。それが初対面だったと思う。深沈としばれてくる真冬の夜だった。
からだ中に紙懐炉をはり、小屋のようなところで暖をとりながらの撮影だった。金堂の古びた柱に手を触れながらホトケの來迎やタマシイの行方などについて語り合った。
煌煌とライトに照らしだされた庭を背景に、柳さんの横顔が浮び上り、それがあの京都の広隆寺に祀られているミロク菩薩にあまりにそっくりなのに驚かされた。
それから時が経ち、突然、柳さんの代表作『命』が新潮文庫に入ることになったので、その「第四幕」の解説を書いてほしいと依頼された。愛と死の修羅をくぐり抜けてきた主人公に寄りそうのは難しかったが、この作家の激しい魂の動揺に近づくことができるような気持ちになっていた。その文庫版の日付を見ると平成16年とあったから、そのときからさらに10年近くが経って、今度は私の住む京都で再会することになった。
当時柳さんは鎌倉に住んでいたが、同じ鎌倉在住の城戸朱理さんの手引きで、あらためて柳さんと対話を重ねることになったのである。東山山麓に広がる美しい庭を前にして、楽しい時間が流れていった。
それが三回ほど続いて中断したままだったが、昨年になってその柳さんが何を思ったか、住みついていたはずの鎌倉を脱出して、福島の南相馬に移住してしまったのだという。そのとき柳さんは何の挨拶もないまま、新著のエッセイ『貧乏の神様―芥川賞作家の困窮生活記』を送って下さった。都会生活者を辞任する弁のつもりだったのだろう。それはタイトルそのままに語る文章だったが、末尾の「おわりに」の中で、京都で私と対談した時の貧乏話にふれてこんなことを書いている。
「わたしはこれからも『貧乏くじを引き』ながら、『武士は食わねど高楊枝』の精神で生きていきます」と。
南相馬に移住とは少々意外な気もしたが、そういえば柳さんは3・11以後、ずっと身銭を切って福島の支援を続けてきたのだった。私は昨年の2月、たまたま新聞社に頼まれてその南相馬を通って隣りの浪江町まで行く機会があった。そのとき柳さんに声をかけようかと迷ったが、そのまま通過してしまった。ところがそれが最近になって、柳さんから新作の小説『ねこのおうち』が送られてきた。そして表紙裏には、こんな言葉が書きそえられていたのである。
「猫の周りには平安が漂っている 2016年6月17日 南相馬にて 柳美里」