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瞬時に義仲を討伐した
義経は一躍ヒーローに!

源義経、誕生から初陣に至る波乱の半生に迫る! 第10回

鞍馬山での修行、弁慶との決闘など、伝説に彩られた源氏の若きスターの、誕生から初陣までの前半生に迫る連載! 従兄弟・義仲追討のため、義経はついに初陣を果たす。

義経の才能が開花。
神速の用兵術で、英雄ここに誕生!

壇ノ浦・源義経像

 頼朝軍の上洛を聞き、義仲は近江勢多へ今井兼平の800余騎、宇治へ仁科・高梨の500騎を遣わして防御を固める。大手範頼は今井の守る勢多を攻撃し、搦手義経軍は宇治川を前にあてた防衛線へ突撃することとなった。これが宇治川の合戦である。

 『平家物語』によると、義仲守備軍は一千数百、対する大手範頼・搦手義経軍は都合6万余騎というのだから、もとより戦力にはかなり開きがあったようだ。そのため、宇治川の合戦の描写も、対義仲軍というよりは、義経配下同士の逸話が中心となっている。
 最も有名なのが梶原景季と、佐々木高綱の先陣争いである。鎌倉を出陣する際、梶原景季は頼朝の所へ参じて、日頃から狙っていた名馬生食を所望するが、頼朝はいざという時、自分が乗るからだめだと断わり、劣らぬ名馬だぞと磨墨を与えた。ところが宇治川の合戦の途上、生食に乗る佐々木高綱を見てびっくり。こいつにだけは負けたくないという梶原と、洒落た機転で先陣争いに勝利する佐々木のやりとりが面白い。

 

 『平家物語』では宇治川の合戦がコミカルに描かれているが、『玉葉』『愚昧記』など当時の貴族の日記から読み取れる合戦は全く異なる。しかしこの「現実の宇治川合戦」には、指揮官としての義経の特徴が最もよく表れている。
 正月20日早朝、それまで息を潜めるがごとく動かなかった頼朝軍が、突如として動く。大手範頼軍が近江勢多を攻め、搦手義経軍は田原路を通って宇治を経て大和大路を北上し、後白河院の幽閉されていた六条殿を急襲・身柄を確保した。この間、わずか4〜5時間の出来事であり、京の人々には、目の前を疾走してゆく騎馬武者部隊が義仲軍か、頼朝軍か全く分からぬ程の早業である。

 『愚昧記』には「義経郎従字石田二郎」が義仲の首級を捕ったとあり、近江粟津へ逃れた義仲を追撃したのが入京した義経配下であることがわかる。大手範頼軍を勢多に留め、大軍の入洛による狼藉を防ぎ、かつ騎兵による迅速な作戦で京都を戦火にさらすことなく、瞬時に“京都の嫌われ者”と化していた義仲を排除した。ここに人々が英雄の登場を見るに何の不思議があろう。

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菱沼 一憲

ひしぬま かずのり

1966年福島市生まれ。國学院大学文学部史学科兼任講師。著書に『源義経の合戦と戦略 その伝説と実像』(角川選書)、『中世地域社会と将軍権力』(汲古書院)などがある。


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