キリシタン大名 大友宗麟のお膝元
南蛮文化発祥都市「豊後府内」を歩く
再発見! ニッポンの歴史舞台を旅する
年々、実態の調査が進む
宗麟の館と南蛮貿易の拠点
別府や湯布院を擁する「日本一のおんせん県」、大分県。
その県都である大分市は、かつて豊後府内と呼ばれた。この地を治めていたのが九州六ヵ国の覇者・大友義鎮(宗麟)である。宗麟は宣教師フランシスコ・ザビエルを迎えてキリスト教布教を許し、西洋に「Bungo王」と紹介されるなど、当時のヨーロッパで最も有名な戦国大名であった。
その宗麟が治めていた都市、現在の大分市を訪ねた。当時の府内のまちは、現在のJR大分駅の東に東西約0・7㎞、南北約2・1㎞にわたって存在していた。当時のまちの様子は「府内古図」として残されており、そこに描かれている「大友館」や大友氏の菩提寺「万寿寺」の跡、当時の道路などは絵図そのままに発掘され、今も調査が進められている。大友氏館の敷地からは東西66m、南北28mの広大な園池跡が見つかり、大友氏全盛の頃の栄華を物語る。
府内のまちの一角には、日本で初めて西洋音楽の演奏や西洋演劇の上演が行われた教会(ダイウス堂)があり、現在その跡地を示す石碑がある。
そこに立ってみれば、南蛮貿易を通じて領地を繁栄に導いた宗麟の姿が偲ばれる。全国に先駆けた東西文化交流の発祥地だった豊後府内。その史跡群を目の当たりにし、豊後の領民やキリシタンの営みに思いを馳せた。
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大分市観光課
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